「国債は安全」という常識が変わり始めている
世界の金融市場で、静かですが重要な変化が起き始めているのかもしれません。
それは、「国が発行する国債であれば、基本的には安心して持っていればよい」という、これまで長く続いてきた考え方が少しずつ変わり始めていることです。
最近、世界最大級の政府系ファンドとして知られるノルウェーの年金基金の運用を担うNBIM(ノルウェー銀行投資管理部門)が、債券の運用方針を大きく見直そうとしていることが明らかになりました。
具体的には、保有する債券全体に占める国債の比率を7割から5割程度へ引き下げつつ、その中でも米国債やユーロ圏国債の配分を減らし、日本国債の配分を引き上げる考えを示しています。
試算では、米国債の保有額は800億ドル(日本円でおよそ12兆5000億円)ほど減る一方、日本国債への配分は4.6%から7.4%程度まで引き上げられ、金額にして170億ドル(約2兆7000億円)増える見通しだと報じられています。
金額だけを見ると、米国債が大きく減ることに目が向きます。
しかし、本当に注目すべきところは、単に「米国債を売る」という話ではないと思います。
もっと大きな視点で見ると、
世界の巨大な投資マネーが、国債についても「どこの国でも同じように持つ」のではなく、リスクと利回りを見ながら選ぶ時代へ移りつつある
ということの方が重要です。
借金を増やした国ほど、お金が集まる不思議な仕組み
まず、これまでの国債投資には少し不思議なところがありました。
世界中の国債へ幅広く投資する場合、国債の発行残高などを基準にして投資割合を決める方法があります。
すると、ある国がたくさん国債を発行すると、その国の国債市場は大きくなります。
市場が大きくなれば、国債指数などに占める割合も大きくなります。
その指数に沿って運用する投資家は、その国の国債をさらに多く買うことになります。
つまり、
政府が借金を増やす
↓
国債をたくさん発行する
↓
市場での割合が大きくなる
↓
世界の投資家がさらに多く買う
という流れが起こります。
少し極端に言えば、
借金を増やした国ほど、投資家からお金を集めやすくなる
という仕組みになってしまうのです。
株式市場であれば、企業が成長し、企業価値が大きくなった結果として、その会社の株式の割合が増えることには一定の合理性があります。
しかし国債は違います。
国債の発行残高が増えているからといって、その国の財政状態が良くなっているわけではありません。
むしろ、財政赤字が大きくなり、借金が増えた結果として国債残高が増えている場合もあります。
それにもかかわらず、発行額が増えれば自動的に投資家の保有額まで増えていく。
この仕組みに、大きな長期投資家が疑問を持ち始めていることが、今回の動きの重要な点ではないでしょうか。
「国債だから安心」だけでは足りなくなってきた
これまで先進国の国債は、非常に安全性の高い資産として扱われてきました。
米国、日本、ドイツ、英国などの国債は、企業の社債などと比べると、返済されなくなる可能性が低いと考えられてきたからです。
そのため、多少利回りが低くても、
「安全なのだから仕方がない」
として買われてきました。
しかし、その前提が少しずつ変わっています。
多くの国で政府債務が膨らみ、財政赤字も大きくなっています。
さらに、以前のような極端な低金利の時代でもありません。
物価が上昇する世界では、投資家も国債を持つことによる実質的な利益を考えなければなりません。
例えば物価が毎年2%上昇しているのに、国債の利回りが1%しかなければ、その国債を長期間持つことによって、お金の実質的な価値が減ってしまう可能性があります。
すると投資家は、
「安全だから持つ」
だけではなく、
「そのリスクを取る代わりに、十分な利回りをもらえるのか」
という点まで考えるようになります。
これは当たり前のことのようですが、世界の国債市場にとっては大きな変化です。
米国債が減ることよりも重要なこと
今回の動きを見ると、米国債への配分がかなり減る方向になっています。
ただ、これをすぐに、
「米国から資金が逃げ始めた」
「ドルの時代が終わる」
と考えるのは早いでしょう。
なぜなら、米国債を減らす一方で、住宅ローンを裏付けとした債券など、ほかのドル建て債券への投資を増やす方向も示されているからです。
つまり、
ドルそのものを避けているわけではありません。
むしろ、
「米国政府が発行する国債だけを、これまでほど大量に保有する必要はないのではないか」
という考え方に近いのでしょう。
これは「脱ドル」とはかなり違います。
ドル建ての資産にはこれからも投資する。
しかし、米国債だからという理由だけで無条件に大きな割合を持つことはやめる。
そのような変化と見る方が自然です。
米国にとって怖いのは「売られること」ではない
米国債について考えるとき、多くの人は、
「中国が米国債を売ったらどうなるのか」
「海外投資家が一斉に米国債を売ったらどうなるのか」
といった話を思い浮かべるかもしれません。
しかし、本当に重要なのは大量売却ではないと思います。
もっと静かな変化の方が重要です。
これまで100億ドルの米国債を買っていた投資家が、次回から80億ドルしか買わなくなる。
満期を迎えた米国債の全額をもう一度米国債へ投資していた投資家が、そのうち一部を別の債券へ振り向ける。
こうした変化でも十分です。
米国政府は今後も非常に多くの国債を発行していかなければなりません。
毎年大量に発行される国債を買ってくれる人が必要です。
しかし、
「以前と同じ金利ではそれほど買いたくない」
という投資家が増えてしまったらどうなるでしょうか。
国債を買ってもらうためには、以前より高い利回りを提示する必要が出てきます。
つまり、国債価格が下がり、長期金利が上がります。
米国債市場にとって最も大きな問題は、
世界中の投資家が米国債を投げ売りすることではなく、米国債を以前ほど積極的に買わなくなること
なのかもしれません。
「次の国債を誰が買うのか」が大切になる
国債の価格を考えるとき、いま国債を保有している投資家の数だけに注目していては十分ではありません。
重要なのは、
これから新しく発行される国債を、誰が、何%の金利なら買うのか
ということです。
政府が大量に国債を発行しても、それ以上に買いたい人がいれば金利はそれほど上がりません。
反対に、国債の発行額が増えているのに、買いたい人が減れば、より高い金利を提示しなければ買ってもらえません。
現在、世界の多くの国で政府債務が増えています。
その一方で、投資家には国債以外にも多くの選択肢があります。
社債もあります。
住宅ローン関連の債券もあります。
株式もあります。
さまざまな企業への融資もあります。
つまり、政府も世界中の投資マネーを当然のように集められるわけではありません。
ほかの投資先との競争になります。
国債の利回りが低すぎれば、
「それなら別の資産へ投資しよう」
という資金が増えるでしょう。
この意味では、世界では大きな「資本の取り合い」が始まっているとも考えられます。
日本国債への配分が増える意味
今回の動きでは、日本国債への投資割合が増える方向も示されています。
これも興味深いところです。
ほんの数年前まで、日本国債は海外投資家から見ると、利回りが非常に低い資産でした。
安全性が高くても、ほとんど利息がつかないのであれば、わざわざ長期間保有する理由はそれほど大きくありません。
ところが、日本の金利環境は以前とは変わってきました。
日本国債の利回りが上昇すれば、海外投資家から見ても、
「この利回りなら持ってもよい」
という水準に近づいてきます。
これは、日本にとってかなり大きな変化です。
これまで日本は、国内で貯められたお金を海外へ投資する国という面が強くありました。
生命保険会社や年金基金なども、より高い利回りを求めて海外の債券を購入してきました。
しかし、日本国内の国債金利が十分に上がれば、状況は変わります。
海外債券を買わなくても、日本国債で一定の利回りを得られるからです。
すると、
海外へ出ていた日本の資金が国内へ戻る
という動きが起こる可能性があります。
さらに今回のように、
海外の巨大投資家も日本国債を買う
という流れまで加われば、日本の国債市場に入ってくる資金は以前より大きくなる可能性があります。
日本国債への投資増加を過大評価してはいけない
ただし、
「海外の巨大投資家が日本国債を増やした。だから日本の財政は世界から高く評価されている」
と考えるのも早いでしょう。
今回の配分変更には、運用ルールそのものを見直した結果として、日本国債の割合が増えるという面があります。
つまり、日本だけが特別に選ばれたわけではありません。
また、日本政府にも大きな債務があります。
財政支出が増え、国債発行が増え続ければ、日本も投資家から、
「もっと高い利回りがなければ買わない」
と言われる可能性があります。
その意味では、日本も米国とまったく無関係ではありません。
むしろ重要なのは、
ある程度まで金利が上がったことで、ようやく日本国債にも買い手が戻ってくる可能性が出てきた
という点です。
これは安心材料であると同時に、市場から政府への警告でもあります。
金利が上がれば、国債には買い手が戻ってくる
国債金利には、一種の自動調整の仕組みがあります。
国債価格が下がる
↓
国債利回りが上がる
↓
投資家から見た魅力が高まる
↓
買いたい人が増える
↓
国債価格の下落が止まりやすくなる
という流れです。
したがって、金利が永遠に上がり続けるわけではありません。
どこかの水準まで上がれば、
「この利回りなら欲しい」
という投資家が現れます。
今回、日本国債への配分を増やそうとする動きが出てきたことは、この仕組みが実際に働き始める可能性を示しているとも考えられます。
ただし、問題はその「買ってもらえる金利」がどこなのかです。
低い金利でも無条件に買ってもらえる時代と、高い利回りを出さなければ買ってもらえない時代では、政府の財政負担は大きく違います。
円相場にも影響する可能性がある
この変化は、為替にも関係します。
日本国債は円建ての資産です。
海外投資家が日本国債への投資を増やせば、円建て資産への需要も増えます。
もちろん、為替ヘッジを行う場合もあるため、日本国債を買った金額がそのまま円買いになるわけではありません。
それでも、
日本の金利が上がる
↓
日本国債の魅力が高まる
↓
海外投資家の日本国債投資が増える
↓
円資産への需要が高まる
という流れは考えられます。
さらに、日本の生命保険会社や年金基金などが海外投資を減らして国内へ資金を戻せば、これまでとは逆方向の資金移動が起こります。
長く続いた円安の背景の一つには、日本と海外の大きな金利差がありました。
日本の金利が上昇し、その差が縮まっていけば、円を売って海外へ資金を移す理由も少しずつ弱くなります。
その意味では、日本国債をめぐる資金の流れは、将来の円相場を考えるうえでも無視できない材料になっていくでしょう。
国債金利の上昇は株式市場にも関係する
この話は、国債だけで終わりません。
国債金利は、さまざまな資産価格の基準になります。
国債でも比較的高い利回りが得られるようになれば、
「大きなリスクを取ってまで株を買わなくてもよいのではないか」
と考える投資家も出てきます。
また、長期金利が高くなれば、企業が銀行や市場からお金を借りるときの金利も高くなります。
住宅ローン金利にも影響します。
不動産投資にも影響します。
企業買収などに使われる資金のコストも上昇します。
株式市場では、将来の利益に対してどの程度高い株価を払うのかという評価にも影響します。
そのため、
政府が国債を大量に発行し、その国債を買ってもらうために高い金利が必要になる
という状態が続けば、株式市場にとっても重しになる可能性があります。
これは、国債市場だけを見ていては分からない重要な点です。
世界の「安全資産」の意味が変わるのか
これまで世界の金融市場では、米国債を中心とする先進国国債が、安全資産の中心にありました。
もちろん、この構造がすぐに消えるとは考えにくいでしょう。
米国債市場は非常に大きく、売買もしやすく、世界の金融システムの中で重要な役割を持っています。
しかし、
「米国債だから無条件に買う」
という時代から、
「米国債であっても、今の利回りで本当に十分なのか」
と投資家が考える時代へ変わるのであれば、その意味は大きいと思います。
そしてこれは米国だけの話でもありません。
英国でも、日本でも、欧州でも同じです。
政府が借金を増やせば、
投資家が自動的にその国の国債を買ってくれる。
そのような世界から、
政府が借金を増やせば、
投資家が財政状態を確認し、
そのリスクに見合う利回りを要求する。
そんな世界へ戻りつつあるのかもしれません。
「国だから安く借りられる」時代の変化
今回の出来事を単に、
「海外の巨大ファンドが米国債を減らした」
というニュースとして見ると、それほど大きな話には見えないかもしれません。
米国債市場全体から見れば、一つの投資家による資産配分変更にすぎません。
しかし、その背景にある考え方を見ると意味が違ってきます。
世界でも最大級の長期投資家が、
政府債務の大きさに合わせて機械的に国債を持つ必要はない
という方向へ運用方法を見直そうとしている。
もし同じ考え方が、年金基金、生命保険会社、中央銀行、政府系ファンドなどへ広がっていけば、世界の国債市場はかなり変わります。
借金を増やしても投資家が自然に買ってくれる時代ではなくなります。
国債を買ってもらうためには、それに見合った利回りが必要になります。
すると国の財政状態そのものが、今まで以上に金利へ反映されやすくなります。
これは、ある意味では市場本来の姿でもあります。
これから見るべきなのは「誰が買うのか」
今後、米国や日本の長期金利を見るときには、中央銀行の政策だけを見ていては十分ではなくなるでしょう。
もちろん政策金利は重要です。
しかし10年、20年、30年という長い期間の金利では、
大量に発行される国債を最終的に誰が買うのか
という問題がますます重要になります。
政府が国債を増やす。
生命保険会社はどれだけ買うのか。
年金基金はどれだけ買うのか。
海外投資家はどれだけ買うのか。
中央銀行はどこまで買うのか。
そして、その買い手たちは何%の利回りを求めるのか。
このバランスによって長期金利は決まっていきます。
だからこそ、世界の巨大投資家が国債への配分方法を見直すことには、金額以上の意味があります。
まとめ
今回の動きから、私はいくつかの大きな変化が見えてくると思います。
まず、米国債については、一斉に売られること以上に、世界の長期投資家が以前ほど大量に買わなくなることに注意する必要があります。
次に、これは単純なドル離れではありません。
ドル建て資産そのものから逃げるのではなく、政府が発行する国債への集中を減らし、より条件のよい資産を選ぶ動きと考えた方が分かりやすいでしょう。
そして、日本国債には以前とは違う資金の流れが生まれる可能性があります。
日本の金利が上がれば、国内のお金が海外から戻るだけでなく、海外投資家からの資金も日本へ入ってくる可能性があります。
これは円相場にも影響するでしょう。
さらに大きな視点では、
世界の投資家が、国債であってもリスクと利回りを厳しく比較する時代へ入りつつある
という変化が重要です。
これまで政府は、国債という「安全資産」を発行することで、比較的低い金利でも巨額の資金を集めることができました。
しかし政府債務が大きく膨らんだ世界では、その前提がいつまでも続くとは限りません。
国であっても、借金を増やせば高い金利を要求される。
十分な利回りを示さなければ、ほかの資産へ資金が流れる。
そのような市場の力が、少しずつ戻ってきているのかもしれません。
この変化が今後数年間続けば、影響するのは国債市場だけではありません。
米国の長期金利、日本の長期金利、円相場、株式市場、不動産、企業の借入金利など、さまざまなところへ波及していきます。
だからこそ、これから注目すべきなのは、
「国債が売られたかどうか」
だけではありません。
世界の長期投資家が、どの国に、どのくらいの金利ならお金を貸そうとしているのか。
そこを見ることが、これからの世界経済や金融市場を考えるうえで、ますます重要になっていくのではないでしょうか。





