社会保険遡及加入時の本人負担と給与課税
年金事務所の調査によって、「この従業員さんは、本来は過去にさかのぼって社会保険に加入させておくべきでした」と指摘されることがあります。
こうしたケースでは、会社は、過去の期間にかかる健康保険料や厚生年金保険料を、まとめて納付しなければなりません。
そこで悩ましいのが、この「まとめて納付した保険料」のうち、本来は従業員さん本人が負担すべきだった部分を、会社が従業員さんから徴収しない場合の税金の扱いです。
会社側からすると、「加入させていなかったのはこちら側のミスなのだから、今さら従業員さんに請求するのは気の毒だ」と感じることもあると思います。
ただ、所得税の考え方は、「会社に手続きミスがあったかどうか」だけで決まるものではありません。
会社が、本来従業員さん本人が払うべきだったお金を代わりに払い、そのお金を返してもらわないのであれば、従業員さんは本来自分で支払うはずだったお金を支払わずに済んだことになります。
税務の世界では、こうした「支払わずに済んだ利益」のことを経済的利益(お金を直接もらったわけではないけれど、お金を払わずに済んだことで得をした利益、というイメージです)と呼び、原則として給与として税金がかかる対象になります。
したがって結論からお伝えすると、遡って納付した社会保険料のうち、本来従業員さん本人が負担すべきだった部分について、会社が最終的に負担してしまい、本人から回収しない場合には、その金額は原則として従業員さんへの給与として課税されることになります。
もっとも、会社が「いったん立て替えておいて、あとで従業員さんからしっかり回収する」というのであれば、その時点ではすぐに給与課税されるわけではありません。
この問題を正しく処理するためには、会社が払ったお金が、単なる「一時的な立て替え」なのか、それとも「会社が最終的に負担することが決まったもの」なのかを、はっきりさせておくことがポイントになります。
この記事では、社会保険料を遡って納付し、本人負担分を会社が回収しなかった場合について、
・給与として税金がかかるのかどうか
・社会保険料控除(社会保険料を払った分だけ、税金の計算のもとになる金額を減らせる制度)との関係
・給与から前もって税金を差し引く「源泉徴収」の扱い
・会計上の処理の仕方
・税務調査で特にチェックされやすいポイント
について、税務署の視点も交えながら、できるだけやさしく解説していきます。
なお、この記事は2026年7月6日現在の法令、通達(国税庁が出している取扱いの指針のようなものです)、公表資料をもとにしています。
制度は変わることがありますので、実際に対応される際は、最新の情報を税務署に確認していただくことをおすすめします。
社会保険料には「会社負担分」と「本人負担分」がある
健康保険料や厚生年金保険料は、会社と従業員さんとで、それぞれ決まった割合を負担する仕組みになっています。
実際の納付では、会社が「会社負担分」と「本人負担分」をまとめて年金事務所などへ納めます。
ただし、会社がまとめて納めているからといって、保険料の全額が会社の負担というわけではありません。
・会社負担分:もともと法律上、会社自身が負担すべきお金です。会社がこの分を納めても、従業員さんへの給与にはなりません。
・本人負担分:本来、従業員さん本人が負担すべきお金です。通常は毎月の給与から差し引いて(控除して)、会社が従業員さんの代わりに納めています。
遡って加入する場合には、過去の給与からはこの本人負担分を差し引いていません。
そのため、会社がいったん本人負担分も含めて全額を納付することになります。
この時点では、会社が本人負担分を「最終的に」負担したとは、まだ決まっていません。
従業員さんに返してもらう(返済してもらう)予定であれば、会社は一時的に立て替えているだけだからです。
日本年金機構(年金や社会保険の窓口となっている組織です)は、あとから加入が認められた場合、その期間について、従業員さん本人にも保険料の半分を遡って負担してもらう必要があると案内しています。
そのため、会社が年金事務所へ納付したとしても、本人負担分については、まずは「従業員さんへの立替金(あとで返してもらうお金)」として考えるのが基本的な整理の仕方になります。
本人負担分を会社が負担すると、なぜ給与になるのか
所得税でいう「給与」は、会社から従業員さんへ現金で支払われた金額だけを指すわけではありません。
会社が、本来は従業員さん本人が払うべきお金を代わりに払った場合、そのことで従業員さんが受けた利益についても、給与として税金がかかることがあります。
たとえば、従業員さん本人が払うべき家賃や保険料、税金などを会社が代わりに払い、その返済を求めなければ、従業員さんはそのお金を自分で払わずに済んだことになります。この「払わずに済んだ利益」が、先ほどご説明した経済的利益です。
国税庁の所得税基本通達36-31の8(国税庁が示している取扱いの一つです)では、会社が役員や従業員の負担すべき社会保険料を負担した場合、その負担額は、その役員・従業員への給与として扱われるとされています。
たとえば、社会保険の遡及加入によって、会社が合計120万円の保険料を納付したとします。
その内訳が、会社負担分60万円、本人負担分60万円だったとしましょう。
・会社負担分の60万円は、もともと会社が負担すべきお金ですから、従業員さんへの給与にはなりません。
・本人負担分の60万円について、会社が従業員さんに請求せず、最終的に会社が負担することにした場合、従業員さんは本来自分で負担すべき60万円を支払わずに済んだことになります。
そのため、この60万円は、従業員さんが会社から受けた経済的利益として、給与として税金がかかる対象になります。
会社側の手続き漏れが原因でも、給与として税金がかかる
実務では、「社会保険への加入漏れが会社側のミスで起きたのだから、本人負担分を会社が負担しても給与にはならないのではないか」という疑問がよく出てきます。
たしかに、会社が本来きちんと加入手続きをしていれば、従業員さんは毎月少しずつ保険料を負担していたはずです。
それを後になってまとめて請求されれば、従業員さんの生活にも大きな影響が出てしまいます。
そのため、「今回は会社の責任として、本人負担分も会社が負担しよう」と判断することもあると思います。
ただ、所得税の考え方では、「なぜ会社が負担することになったのか」という理由だけでなく、「結果として従業員さんがどんな利益を受けたのか」が重視されます。
会社側のミスが原因であっても、本来従業員さんが負担すべき社会保険料を会社が代わりに負担し、返済を求めないのであれば、従業員さんはその金額に相当する利益を受けています。
したがって、「会社のミスが原因だから」という事情だけで、所得税が自動的にかからなくなるわけではありません。
社内で「今回の保険料は会社の責任で負担する」という決定をしたとしても、その決定によって給与としての税金まで免除されるわけではない、という点は覚えておいていただきたいポイントです。
むしろ、こうした社内決裁は、「本人負担分を会社が最終的に負担することが決まった」という証拠になりますので、いつ給与として税金がかかるのかを判断するうえで、重要な資料になります。
一時的な立て替えであれば、原則として給与課税されない
会社が本人負担分を年金事務所などへ納付しても、従業員さんに対する「返してもらう権利」を持ち続けていて、あとから実際に回収するのであれば、通常はただの立て替えとして扱われます。
たとえば、本人負担額が60万円で、会社と従業員さんの間で「毎月5万円ずつ、12回に分けて返済する」と決めていたとします。
この場合、従業員さんは60万円の支払いを免除されたわけではなく、会社に対して60万円を返す義務を負っています。
したがって、会社が年金事務所などへ納付した時点では、原則として給与としての税金はかかりません。
ただし、税務署は、会社が帳簿の上で「立替金」と書いているだけで、すぐに「本当の立て替えだ」と認めてくれるわけではありません。
実際に、
・従業員さんに返済の義務があること
・会社に回収する意思があること
・実際に返済が行われていること
これらがそろっていることが必要です。
たとえば、返済する金額・返済を始める時期・毎月の返済額・返済の期限・退職するときの精算方法などを記載した合意書があるかどうかは、重要な確認ポイントになります。
また、従業員さんに本人負担額の内容をきちんと通知しているか、給与やボーナスから差し引くことについて本人の同意を得ているか、立替金の残高をきちんと管理しているか、実際に返済が行われているか、といった点も見られます。
返済についての契約書があっても、返済の期限が決まっていなかったり、何年も一度も返済がなかったりする場合には、「実質的には会社が負担したもの」と判断されてしまう可能性があります。
税務署は、勘定科目(帳簿上どの項目に記録しているか)の名前ではなく、実際の取引の内容を見て判断します。
帳簿上は「従業員立替金」となっていても、会社が請求せず、従業員さんも返済せず、退職するときにも清算しないのであれば、実態としては給与や、借金を帳消しにする「債務免除」にあたるのではないか、という問題が出てきます。
最初は回収する予定だったのに、後から免除した場合
遡って加入することが決まった当初は、「本人負担分は従業員さんから回収する予定」として、会社が立替金として処理していることがあります。
ところが、その後、従業員さんの負担が大きいことや、加入漏れの原因が会社側にあったことなどを考えて、会社が「もう回収しないことにしよう」と決める場合があります。
このケースでは、最初に納付した時点では、会社は単に本人負担分を立て替えていただけです。
ですから、その時点では給与として税金はかかりません。
しかし、会社が「返済してもらうのはやめよう」と決めた時点で、従業員さんは会社に対する返済の義務から解放されます。
その結果、免除された金額に相当する経済的利益を受けたことになり、原則として、免除した時点で給与として税金がかかることになります。
たとえば、2024年分と2025年分の社会保険料について、会社が2026年7月に遡って納付したとします。
その時点では、本人負担分を「従業員立替金」として帳簿に記録し、後日回収する予定だったものの、2026年10月に「もう回収しない」と正式に決めたとします。
この場合、通常は、2024年や2025年の給与に遡って税金をかけ直すのではなく、返済の義務がなくなった2026年10月の給与として処理することになります。
ただし、実際には2026年7月の時点からすでに回収する気がなく、「立替金」という帳簿上の処理だけを形だけ行っていたような場合には、2026年7月の時点で、すでに会社が負担することが決まっていたと判断される可能性もあります。
そのため、いつ会社が負担することを決めたのか、いつ返済を免除したのかを、社内の決裁書や取締役会の議事録、従業員さんへの通知書などの形でしっかり残しておくことが大切です。
給与として税金がかかる一方で、社会保険料控除の対象にもなる
この問題で少し分かりにくいのが、「給与としての税金」と「社会保険料控除」の関係です。
会社が本人負担分を負担した場合、その金額は従業員さんへの給与になります。
しかし同時に、給与として税金をかけた本人負担分の社会保険料は、従業員さんの社会保険料控除(払った社会保険料の分だけ、所得税の計算のもとになる金額を減らせる制度)の対象にもなります。
国税庁の所得税基本通達74・75-4では、会社が役員や従業員本人が負担すべき社会保険料を負担した場合、その金額は原則として「本人が支払った社会保険料」には含まれないものの、その金額を給与として税金をかけた場合には、社会保険料控除の対象に含める、とされています。
たとえば、本人負担分60万円を会社が負担する場合には、給与の支払額に60万円を加えると同時に、社会保険料控除の金額にも60万円を加えることになります。
つまり、税金の計算上は、「従業員さんが会社から60万円の給与を受け取り、そのまま60万円を社会保険料として支払った」のと同じような形で計算する、というイメージです。
そのため、会社負担額を給与に加えるだけで、社会保険料控除に反映しないという処理は適切ではありません。
反対に、給与としての税金をかけずに、社会保険料控除だけを適用することも、原則としてできません。
給与としての税金と社会保険料控除は、必ずセットで処理する必要があります。
給与と社会保険料控除が同じ金額でも、影響がないとは限らない
「本人負担分を給与に加えて、同じ金額を社会保険料控除にも加えるなら、結局所得税には影響しないのでは」と思われるかもしれません。
たしかに、給与に加える金額と社会保険料控除に加える金額が同じなので、単純な計算だけを見れば、両方が相殺されるように見えます。
しかし、税金への影響がまったくないとは限りません。
まず、給与収入そのものの金額は増えます。
給与所得の金額は「給与収入から給与所得控除(給与をもらっている人が受けられる一定の控除)を差し引いて」計算するため、給与収入が増えれば、その後の給与所得の金額が変わる可能性があります。
また、配偶者控除や配偶者特別控除、扶養している家族についての所得の条件、基礎控除の判定、その他さまざまな税制上の所得制限などでは、「社会保険料控除を差し引く前の金額」が基準として使われることがあります。
そのため、給与への加算額と社会保険料控除への加算額が同じであっても、他の控除や所得の判定に影響することがあります。
住民税についても、所得税と同じように給与収入や所得金額をもとに計算するため、翌年度の住民税に影響することがあります。
さらに、税金以外の制度でも、給与収入や所得金額を基準にして、給付金や助成金、保育料、さまざまな負担額などを判定している場合があります。
したがって、「給与と社会保険料控除が同じ金額だから、従業員さんには何も影響がない」と説明するのは適切ではありません。
実際にどのくらい影響するかは、従業員さんの年間の給与額、家族構成、受けている所得控除、他に収入があるかどうかなどによって変わってきます。
給与計算では、どのように処理するのか
たとえば、通常の月額給与が30万円で、通常の本人負担社会保険料が4万5,000円だった方を例に考えてみます。
その月に、遡って発生した本人負担社会保険料60万円を会社が負担することを決めた場合、給与計算の上では、通常の給与30万円に、経済的利益60万円を足した90万円を、給与の総額として扱います。
一方、社会保険料控除については、通常の社会保険料4万5,000円に、給与として税金をかけた遡及分60万円を足します。
したがって、給与から前もって差し引く「源泉所得税」の計算では、給与総額90万円から社会保険料等64万5,000円を差し引いた後の金額をもとに計算することになります。
ただし、お使いの給与計算ソフトによっては、「現金では支払われない経済的利益」と、「実際の手取りからは差し引かない社会保険料控除」を同時に処理するための設定が用意されていないことがあります。
その場合には、現物給与や課税支給といった項目を使い、社会保険料控除額を手動で調整するなどの対応が必要になることがあります。
給与計算ソフト上の処理だけでなく、源泉徴収簿、給与台帳、会計の帳簿の金額がそれぞれ一致しているかどうかを、必ず確認するようにしましょう。
源泉徴収票にはどう記載するのか
本人負担社会保険料を会社が負担し、その金額を給与として税金をかけた場合には、原則として、給与所得の源泉徴収票の「支払金額」にその金額を含めます。
同時に、給与として税金をかけた本人負担社会保険料は、「社会保険料等の金額」にも含めます。
国税庁の源泉徴収票の作成要領では、源泉徴収票に給与の支払金額や社会保険料等の金額を記載することになっています。
たとえば、通常の年間給与が500万円で、会社が本人負担社会保険料60万円を給与として負担した場合には、原則として支払金額は560万円となります。
社会保険料等の金額についても、通常の年間社会保険料に、給与として税金をかけた60万円を加えます。
会社負担額を給与の支払金額には加えたのに、社会保険料等の金額には加えていない、という場合には、従業員さんの社会保険料控除が少なくなってしまいます。反対に、給与として税金をかけていないのに、その金額だけを社会保険料等の金額に加えるのも、原則として適切ではありません。
すでに年末調整や源泉徴収票の交付が終わったあとで、本人負担分を会社が負担することが決まった場合には、年末調整のやり直しや、源泉徴収票の訂正、給与支払報告書の訂正などが必要になることがあります。
源泉所得税を追加で納める必要があるのか、年末調整による還付額が変わるのかは、従業員さんのその年の給与や控除の状況によって異なります。
少額であれば税金をかけなくてもよい例外もある
所得税基本通達36-32には、会社が従業員本人の負担すべき社会保険料等を負担した場合であっても、その従業員さんについて、その月に会社が負担する金額の合計が300円以下であれば、給与として税金をかけなくてもよいという、少額に関する取扱いがあります。
ただし、会社が役員や特定の従業員さんだけを対象に負担している場合には、この取扱いは使えません。
社会保険の遡及加入では、対象となる従業員さんについて、数万円から数十万円、場合によってはさらに多額の本人負担分が発生するのが一般的です。
そのため、今回のようなケースで、月額300円以下の少額の取扱いを使えることは、通常ほとんどありません。
また、この少額の取扱いによって給与として税金をかけなかった社会保険料については、従業員さんの社会保険料控除の対象にもなりません。
会計処理は「会社負担分」と「本人負担分」を分けて考える
会社が遡って社会保険料を納付した場合、会計処理では、会社負担分と本人負担分をはっきり分けておく必要があります。
・会社負担分は、通常、法定福利費(会社が法律で決められて負担する福利のための費用です)として処理します。
・本人負担分について、あとから従業員さんから回収するのであれば、「従業員立替金」や「未収入金」といった、いったん貸したお金として資産の項目で処理します。
たとえば、会社負担分が60万円、本人負担分が60万円で、合計120万円を納付した場合には、会社負担分60万円を法定福利費とし、本人負担分60万円を従業員立替金として処理することになります。
その後、従業員さんから本人負担分を回収したときに、この従業員立替金を消し込みます(帳簿上、貸したお金が返ってきたことを記録すること)。
一方、会社が本人負担分を回収しないことに決めた場合には、この従業員立替金を給与に振り替えることになります。
ただし、会計上、立替金を給与に振り替えただけでは不十分です。給与台帳への記載、源泉徴収簿への反映、社会保険料控除の処理、年末調整、源泉徴収票や給与支払報告書への反映まで、きちんと行う必要があります。
遡って発生した保険料の全額を法定福利費として処理し、本人負担分を分けて考えないという方法は、税務上、問題になる可能性があります。
税務署は、法定福利費の中に本人負担分が含まれていないか、本人負担分を従業員さんから回収したのか、回収していないのであれば給与として税金をかけたのかを確認します。
税務署が調査で確認するポイント
税務署がこの問題を確認する場合、まず、年金事務所からの通知書、保険料の納入告知書、資格取得に関する書類などを確認します。
年金事務所は、加入していない事業所などに対して加入の指導を行い、必要に応じて立入検査を行い、被保険者の資格の有無を確認したうえで、職員が認定して加入手続きを行うことがあります。
また、遡って資格を取得した事実については、事業所への調査の際に、賃金台帳や出勤簿などが確認されることがあります。
税務署では、年金事務所の資料に記載された追加納付額と、会社の法定福利費、預り金、立替金、給与台帳などを照らし合わせます。
特に、法定福利費が前年と比べて大きく増えている場合や、社会保険料の納付額と給与から差し引いた金額が一致していない場合には、その差額について説明を求められる可能性があります。
会社が「本人負担分は従業員立替金です」と説明した場合には、その立替金を実際に回収しているかどうかが確認されます。
・返済についての合意書があるか
・返済の期限が決まっているか
・毎月の返済の実績があるか
・立替金の残高を従業員さんごとに管理しているか
・従業員さんに残高を通知しているか
・退職するときに清算しているか
これらの点がチェックされます。
何年間も残高が変わらず、請求も返済も行われていない立替金については、「実質的に返済を免除しているのではないか」と疑われてしまいます。
また、本人負担分を会社が負担している場合には、その金額が給与台帳、源泉徴収簿、年末調整、源泉徴収票、給与支払報告書に正しく反映されているかどうかも確認されます。
会社が負担を決めた日付も重要なポイントです。
決めた日付によって、どの年の給与として税金をかけるべきかが変わる可能性があるため、決裁書や議事録などの日付が確認されます。
分割で回収する場合の注意点
本人負担分が高額になる場合、一度に従業員さんから回収することが難しいこともあります。
そのときは、従業員さんと話し合って、分割で回収する方法が考えられます。
分割で回収する場合には、
・回収する金額
・毎月の返済額
・返済を始める月
・返済の期限
・ボーナスから回収するかどうか
・退職するときの残額の清算方法
などを、書面ではっきりさせておくことが望ましいでしょう。
税務上は、実際に返済の義務があり、会社に回収する意思があれば、立替金として扱うことができます。
しかし、給与から過去分の社会保険料を差し引けるかどうかについては、所得税だけでなく、労働基準法上の「賃金は全額を支払わなければならない」という原則なども考える必要があります。
会社が一方的に高額な遡及分の保険料を給与から差し引くと、労務上の問題が生じる可能性があります。
そのため、本人からきちんと同意を得るとともに、必要に応じて社会保険労務士に相談し、賃金から差し引くことについての労使協定が必要かどうかなどを確認しておくと安心です。
税務上「従業員立替金として処理できること」と、「実際に給与から適法に差し引けること」は、別の問題であるという点も押さえておいていただきたいポイントです。
会社が追加の所得税まで負担する場合
会社が本人負担の社会保険料だけでなく、それに伴って発生する所得税や住民税まで負担する場合には、さらに注意が必要です。
会社が従業員さん本人の所得税を代わりに負担すると、その所得税の負担額自体も、従業員さんへの経済的利益になります。
その追加の経済的利益に対して、さらに所得税がかかるため、会社が税金分も含めてすべて負担し、従業員さんの手取り額を減らさないようにする場合には、給与額を逆算する「グロスアップ計算」(税金を会社が負担する分まで含めて、従業員さんの手取りが減らないように給与額を計算し直すことです)が必要になることがあります。
したがって、「本人負担社会保険料60万円を会社が負担する」と決めただけでなく、「それに伴う所得税なども会社が負担する」とする場合には、最終的に給与として税金がかかる金額が60万円を超える可能性があります。
過去の年に遡って給与として税金をかけるのか
遡って納付した社会保険料が2024年分や2025年分であったとしても、必ずしも2024年や2025年の給与に遡って税金をかけ直すわけではありません。
大切なのは、従業員さんが会社から経済的利益を受けた「時期」です。
2026年に年金事務所の調査があり、2026年に会社が遡って保険料を納付し、2026年に「本人負担分は会社が負担する」と決定したのであれば、通常は2026年分の給与として処理します。
一方、実際には2025年中に「本人負担分は会社が負担する」と決めていたのに、2026年になってから初めて給与としての税金がかかっていないことに気づいたという場合には、2025年分の年末調整や源泉徴収票を訂正する必要が出てくることがあります。
また、最初は従業員さんから回収する予定で立替金として処理していたものを、2026年に免除したのであれば、原則として、免除した2026年の給与として扱います。
いつ税金をかけるべきかは、社会保険料がどの期間に対応するかだけでなく、会社の負担がいつ確定したのか、従業員さんの返済の義務がいつなくなったのかによって判断する必要があります。
すでに退職した方の本人負担分を免除する場合
すでに退職した従業員さんについて、遡って加入していたことが判明することもあります。
退職した方への本人負担分を会社が立て替えたものの、実際には回収が難しいため、会社が返済を免除する場合があります。
この場合でも、返済を免除された元従業員さんは、本人負担額に相当する経済的利益を受けることになるため、給与としての税金が問題になります。
退職後に免除したからといって、当然に「退職所得」になるわけではありません。
その利益が、過去の雇用関係や在職中の給与に関連して生じたものであれば、給与所得として扱われる可能性があります。
また、すでに現金での給与の支払いがない退職者については、会社が源泉所得税を差し引く現金がありません。
そのため、源泉所得税を元従業員さんから別に受け取るのか、会社が立て替えるのかなど、追加の対応が必要になります。
会社が源泉所得税まで負担すれば、その負担額自体も追加の給与になる可能性があるため、退職された方に関するケースは、特に慎重な検討が必要です。
実務上、会社が残しておきたい資料
本人負担分を従業員さんから回収する場合でも、会社が負担する場合でも、その処理の経緯を説明できる資料をきちんと残しておくことが大切です。
まず、年金事務所から受け取った調査結果、資格取得に関する通知、保険料の納入告知書、対象期間と標準報酬月額(保険料を計算するもとになる月々の給与額のことです)が分かる資料を保存しておきましょう。
次に、会社負担分と本人負担分を、従業員さんごと・対象月ごとに区分した計算資料を作成します。
本人から回収する場合には、返済についての合意書、本人への通知書、給与などから差し引くことについての同意書、返済の実績が分かる資料、立替金の残高を管理する表などを保存します。
会社が負担する場合には、会社が負担することにした理由、対象者、対象期間、本人負担額、会社が負担を決めた日付、給与として税金をかけることなどを記載した社内決裁書を作成します。
また、給与台帳、源泉徴収簿、年末調整の資料、源泉徴収票、給与支払報告書についても、会社負担額が正しく反映されているかを確認しておきましょう。
税務調査では、会社がどのような判断をしたかだけでなく、その判断が帳簿、給与計算、税務申告に一貫して反映されているかどうかが確認されます。
税務署から見て、問題になりやすい処理
このケースで最も問題になりやすいのは、遡って発生した社会保険料の全額を法定福利費として計上し、本人負担分について何も処理していない場合です。
本人負担分を従業員さんから回収していないにもかかわらず、給与としても処理していなければ、従業員さんへの経済的利益が給与に含まれていないことになります。
その結果、給与の支払金額が実際より少なく計上され、源泉所得税の徴収漏れが生じる可能性があります。
源泉徴収票や給与支払報告書の支払金額も少なくなり、従業員さんの所得税や住民税の計算にも影響が出てしまいます。
また、本人負担分を立替金として処理していれば安心、というわけでもありません。
立替金として何年も残高を放置し、従業員さんに請求もせず、返済も受けていない場合には、実質的な債務免除と判断される可能性があります。
税務署は、立替金がいつ発生したものか、誰に対するものか、返済期限はいつか、どの程度返済されているか、退職した方の分が残っていないか、といった点を確認します。
特に、従業員立替金や役員立替金の残高が長期間変わっていない場合には、給与や役員給与としての課税漏れを疑われやすくなりますので、注意しておきましょう。
まとめ
社会保険の遡及加入によって、会社が過去分の保険料を納付した場合、本人負担分の扱いをあいまいにしておくことはおすすめできません。
・本人負担分を従業員さんから実際に回収するのであれば、会社による一時的な立て替えとして処理します。この場合には、本人負担分を従業員立替金などとして記録し、返済の条件を明確にしたうえで、実際に回収することが必要です。
・本人負担分を最初から従業員さんに請求しない場合や、当初は回収する予定だったものの後日返済を免除した場合には、原則として、その会社負担額や免除した金額が従業員さんへの給与として税金がかかります。
・給与として税金をかけた本人負担社会保険料については、同じ金額を従業員さんの社会保険料控除にも含めます。給与の支払金額と社会保険料等の金額の両方に、正しく反映させる必要があります。
・会社側の加入手続きの漏れが原因であっても、それだけで給与としての税金が免除されるわけではありません。
税務署は、会社がどの勘定科目を使っていたかではなく、「従業員さんに返済の義務があるのか」「会社に回収する意思があるのか」「実際に返済されているのか」という実態を確認します。
実務としては、本人から回収するのか、会社が負担するのかを早めの段階で決めて、その方針に沿って、会計処理、給与計算、源泉徴収、年末調整、源泉徴収票の処理を一貫して行うことが重要ではないでしょうか。
本人から回収するのであれば、返済についての合意書を作成し、現実的な返済計画に基づいて実際に回収するようにしましょう。
会社が負担するのであれば、社内での決裁の記録を残し、本人負担額を給与として税金の対象にするとともに、同じ金額を社会保険料控除に反映させます。
こうした区分を最初から明確にしておくことで、後日の税務調査があった場合にも、会社としての処理の内容を落ち着いて、合理的に説明しやすくなるはずです。
なお、この記事は2026年7月6日現在の情報にもとづいた一般的な内容です。
実際の適用にあたっては、個別の状況によって判断が異なる場合がありますので、具体的なケースについては、最寄りの税務署に確認されることをおすすめします。






