「年収の壁」対策って何が問題?給付より制度の見直しが大事な理由─税理士として、制度の「根っこ」から見えること
【30秒でわかる要約】
政府は「年収の壁」を意識して働き控えをする人を支えるため、所得に応じた現金給付を検討しています。
でも、給付で一時的に手取りを補う前に、なぜ手取りが減る仕組みになっているのかを見直すことが本質ではないか。
この記事では、税理士として経営者と長年向き合ってきた立場から、この問いを一緒に考えてみたいと思います。
はじめに:税理士として、感じること
毎年秋から冬にかけて、私のもとにこんな相談が増えます。
「先生、うちのパートさんが『もうこれ以上働けない』と言い始めて。どうすればいいですか」
社員10人前後の小さな会社を経営している経営者の方からの声です。
飲食店、整骨院、小売店、運送の下請け……業種はさまざまですが、「働き手が急にシフトを減らす」という悩みはどこも共通しています。
本人たちに悪気はありません。
ただ、ある収入の水準を超えると、社会保険料の負担が発生して手取りが思ったほど増えないことがある。
それを恐れて、「もう少し働けば損になるかもしれない」と考えてしまうのです。
こうした動きを「年収の壁問題」と呼びます。
政府もこれを問題視していて、所得に応じた現金給付を検討しているという報道があります。
もちろん、困っている人を助けることは大切です。
ただ、税理士として長年この問題に向き合ってきた私には、少し気になることがあります。
「給付で手取りを補う前に、なぜ手取りが減る仕組みになっているのかを、まず直すべきではないか」
今日は、その「根っこ」の話をしたいと思います。
「年収の壁」って、そもそも何?
社会保険とは、病気・老後・介護・失業などに備えるための制度です。
会社員や一定の条件を満たすパートの方は、健康保険と厚生年金に加入します。
その代わり、毎月の給与から保険料が引かれます。
本来、社会保険に入ることにはメリットもあります。
将来受け取れる年金が増えたり、病気や出産のときの保障が厚くなったりします。
ところが、目の前の手取りだけを見ると、こう感じる方が出てきます。
「もう少し働いたら保険料が引かれて、むしろ損になるかもしれない」
「それなら、今のままの時間で働こう」
これは、テスト勉強にたとえると伝わりやすいかもしれません。
1時間頑張れば点数が上がると思っていたのに、ある水準を超えると急に宿題が増えて、自由時間が一気に減る。
そうなると、「もう少し頑張ろう」という気持ちが薄れます。
働くことでも、同じようなことが起きています。
給付は「応急処置」、でも傷口は残る
政府が検討しているのは、働く時間を増やした人に対して現金を給付することで、手取りの目減りを補う、というものです。
当面の家計を助けるという意味では、意味のある対策です。
ただ、私が経営者の方たちと話していていつも思うのは、「給付で穴を埋める前に、穴そのものをふさぐほうが根本的ではないか」ということです。
バケツに水を注いでいるのに、底に穴が空いていたら。
水をどんどん足しても、抜け続けます。
穴をふさぐほうが、ずっと効果的です。
年収の壁も同じです。
給付で一時的に手取りを補っても、「急に負担が増える段差」という仕組み自体が残る限り、問題は解消されません。
本質的に必要なのは、働いた時間が増えれば、なだらかに手取りも増えていく仕組みにすることです。
一段だけ異常に高い段差がある階段は、つまずきやすい。
段差をならして、ゆるい坂道にする。そのイメージです。
小さな会社の現場では、こう起きている
ここで、私が実際に見聞きしてきた小さな会社のケースをいくつかご紹介します。
(個人情報保護のため、細部は変えています)
ケース①:従業員数名の飲食店
あるランチ営業中心の飲食店では、ホールスタッフの多くが主婦パートの方々です。
繁忙期を前に「もう少し入ってもらえますか」とお願いしたところ、何人かから「年収がもうすぐ上限に近いので、これ以上は難しい」と断られたそうです。
オーナーは困りました。
求人を出しても集まらない。
来てくれたスタッフには辞められたくない。
でも、無理にシフトを入れると相手が損になるかもしれない。
この「困り方」は、人手不足に悩む小さな会社にとって非常にリアルです。
ケース②:10人規模の介護施設
介護の現場でも、似た話があります。
資格を持ったヘルパーの方が「年収がある水準を超えそうだから、年末は休みを増やす」と申告してきた。
施設としては、むしろ年末年始こそ人手が欲しい時期です。
経営者の方は「制度のことはわかる。でも、どう説明したらいいかわからない」とおっしゃっていました。
税理士として私が感じるのは、この「どう説明したらいいかわからない」という感覚が、まさに制度の複雑さを物語っているということです。
経営者も、働く人も、制度を正確に理解するのが難しい。
だからこそ、必要以上に「壁」を意識してしまう側面もあります。
「本当に困っている人」を見つけられているか
もう一つ、税理士として気になることがあります。
所得だけを基準に給付対象を決めると、「本当に困っている人」を正確に見つけられない場合があります。
たとえば、年収は低くても、相続などで不動産や預金などの資産を持っている方がいます。
一方で、年収はそれなりにあっても、家族の介護費用や子どもの教育費で家計が非常に苦しい方もいます。
給与収入だけを見ていると、この違いは見えません。
本当に必要な人に支援を届けるには、給与所得だけでなく、株の配当や預金の利息といった金融所得、あるいは保有している資産の状況も把握できる仕組みが必要かもしれません。
マイナンバー制度が導入された際、こうした情報の一元管理が議論になりましたが、現時点ではまだ十分に活用されていないと感じます。
個人情報の保護という大切な課題もあるため、簡単ではありません。
ただ、この課題を避け続けると、いつまでも「本当に届けたい人に届かない給付」になるリスクがあります。
財源の話を忘れてはいけない
そして、もう一つどうしても触れておきたいのが「財源」の問題です。
給付をする、減税をする、保険料の負担を軽くする。
こうした話は、受け取る側からすると嬉しいものです。
でも、「そのお金はどこから出るのか」を同時に考えないと、将来世代への負担になりかねません。
家計でたとえるなら、今月の支出を増やすためにクレジットカードのリボ払いを続けるようなものです。
その場は楽になります。
でも、利息がついて、あとから大きな返済が来る。
国の財政も同じ構造です。
現役世代が助かった分のツケが、子どもや孫の世代の税負担や社会保障の制約として返ってくる可能性があります。
だから、「給付するか、しないか」だけでなく、「その財源をどう用意するか」まで込みで議論しなければ、本質的な話にはならないのです。
これは、政治の話でも難しい話でもなく、家計の感覚と地続きの話です。
まとめ:3つの「根っこ」を押さえておこう
今日お伝えしたかったことを、3つに整理します。
給付は応急処置。本質は「壁」のある仕組みそのものの見直しです。
働いた分だけ手取りがなめらかに増える仕組みにすること。
それが根本の解決につながります。
現金給付が悪いわけではありませんが、「段差をなくす」努力と並行して進めることが大切です。
「本当に困っている人」を見つけるには、給与所得だけでは足りないかもしれません。
資産や家族の状況も含めた、もう少し丁寧な仕組みが必要です。そのための制度整備は、まだ途上です。
「配るか、減らすか」と同時に、「どこから出すか」を考える必要があります。
財源の話を後回しにすると、将来世代が困ることになります。
今の議論が、子どもたちの負担につながる話だという認識が広がることを願っています。
今日からできる一歩:「わが家の壁メモ」を作ってみる
難しいことを全部理解しようとしなくて大丈夫です。
まずは、スマホのメモ帳を開いて、こんなことを書いてみてください。
「今年の見込み収入はいくらか」
「社会保険や税金で、気になっていることは何か」
「それは自分ごとか、家族のことか」
たとえばこんな一文で十分です。
「年収が○○万円を超えそう。社会保険に入ると手取りはどう変わる?」
このメモが、ニュースを「自分ごと」に変える最初の一歩になります。
そして、もし「うちの会社、どうすればいいんだろう」と思ったときには、ぜひ身近な社会保険労務士に相談してみてください。
この記事は、税理士として経営者や従業員の方々と日々向き合ってきた経験をもとに書いています。
制度の詳細は状況によって異なります。


