北極の氷がとけると、なぜ大国は動き出すのか
地球の変化と、そのなかで日本にできること
北極の氷が減り、これまで船が通りにくかった海が使いやすくなっています。
そこに、輸送の近道や、新しい資源開発の可能性が生まれています。
荷物を早く運べる。輸送費が下がるかもしれない。
新しい仕事が生まれるかもしれない。
それだけを聞けば、悪い話には思えません。
けれども、その近道は、何もないところに新しくつくられたわけではありません。
地球が暖まり、長く海を覆ってきた氷が失われたことで、通りやすくなった道です。
ここに、今の世界の難しさが表れているように思います。
私たちの暮らしを支える自然の変化が、同時に、国や企業にとっての利益の機会にもなっているのです。
地球全体への影響を考えれば、慎重になりたい。
けれども、自国の経済や安全を考えれば、利用を急ぎたい。
しかも、自分が立ち止まっている間に、別の国が先に進んでしまうかもしれません。
なぜ、世界はそのように動くのでしょうか。
そして日本は、大国の動きをただ見ているしかないのでしょうか。
この問題を考えるには、地球で起きていることと、国を動かしている事情を、いったん分けて見る必要があります。
そのうえで、もう一度つなぎ直してみたいと思います。
地球にたまっているのは、空気の暑さだけではない
まず、地球で何が起きているのかを確認しておきましょう。
世界各地の気候データをまとめている世界気象機関(WMO)によると、2025年の世界の平均気温は、産業革命前にあたる1850〜1900年の平均より約1.43度高く、観測史上2番目か3番目の暑さでした。
また、2015〜2025年の11年間は、観測史上最も暑い11年間となっています。
1.43度と聞くと、わずかな違いに感じるかもしれません。朝と昼では、もっと気温が変わります。昨日より今日の方が数度暑いこともあります。そうした経験と比べると、「それほど大きな変化なのだろうか」と思うのも自然です。
ただ、この数字は、ある町の昼間の気温ではありません。
世界中の陸と海、夏と冬、昼と夜をすべて含めた平均です。
地球全体の平均が上がるということは、日々の気温の「土台」そのものが持ち上がることに近いといえます。
そこに天候の変動が重なるため、極端に暑い日も起きやすくなります。
背景にあるのは、地球に入る熱と、外へ出ていく熱のつり合いの変化です。
地球は太陽からエネルギーを受け取り、同時に宇宙へ熱を逃がしています。
二酸化炭素などの「温室効果ガス」は、その熱を逃がしにくくする働きを持つ気体です。
人間の活動によってこれらが増え、地球に熱がたまりやすくなっています。
そして、私たちが肌で感じる空気の暑さは、変化の一部にすぎません。
地球にたまった余分な熱の約9割は、海に取り込まれています。
2025年も、海に蓄えられた熱の量は過去最高を更新しました。
空気だけでなく、巨大な海そのものが暖まり続けているのです。
これを知ると、「今年は去年より少し涼しかった」という話の受け止め方も変わってきます。
私たちの体感は大切です。
しかし、一つの地域の一つの季節だけでは、地球全体の変化は分かりません。
家の一部屋が涼しいからといって、家全体が冷えているとは限らないのと似ています。
目の前の天気と、長い時間をかけて変わる気候。その二つを分けて見ることが、最初の一歩になります。
暮らしの「いつもどおり」が変わり始めている
地球が暖まると、暑さだけでなく、雨の降り方も変わります。
暖かい空気は、より多くの水蒸気を含むことができます。
そのため、条件がそろうと、一度に降る雨が強まりやすくなります。
ただし、どこでも均等に雨が増えるわけではありません。
大気の流れも変わるため、地域や季節によって違う影響が現れます。
日本でも、気象庁の観測によれば、極端な大雨が増える一方で、雨の降らない日も増えています。
つまり、「雨がたくさん降るのだから、水の心配はなくなる」という話ではないのです。
短い時間にまとめて降る雨と、必要な時期に必要な量が降る雨とでは、暮らしにとっての意味がまったく違います。
海にも変化が起きています。
海水が暖まることに加え、海が二酸化炭素を吸収することで、海水の性質も変わります。
これが「海洋酸性化」と呼ばれる変化です。
海全体が急に酸性になるという意味ではなく、もともと弱いアルカリ性の海水が、少しずつ酸性の方向へ動いていくことを指します。
この変化は、貝やサンゴなど、殻や骨格をつくる生き物に影響します。
海面の上昇も進んでいます。
主な理由は、海水が暖まって膨張することと、陸の上にある氷河や氷床がとけて海に流れ込むことです。
なお、海に浮かぶ氷がとけても、海面はほとんど上がりません。
浮いている氷は、もともとその分だけ海水を押しのけているからです。
北極の海氷が減ることと海面上昇とは、分けて考える必要があります。
こうした変化は、遠い自然の話だけでは終わりません。
暑さで屋外の仕事が難しくなる。大雨で工場や倉庫が浸水する。
水不足で生産が止まる。
自社に被害がなくても、仕入先が被災して原材料が届かなくなる。
気候の変化は、このような形で仕事や暮らしに届きます。
大切なのは、すべての災害を温暖化だけで説明しないことです。
一つひとつの被害には、天候の偶然の変動だけでなく、建物の場所や備えも関わります。
同じ量の雨でも、十分に対策した場所とそうでない場所では、被害の大きさが違って当然です。
それでも、以前の気候を前提につくった暮らし方を、そのまま続けられるとは限らなくなっています。
気候変動は、「地球にやさしくするかどうか」だけの問題ではありません。
これまでの暮らしを、これからも続けられるかどうかという問題なのです。
1.5度は、希望と絶望を分ける境界線ではない
温暖化の話には、よく「1.5度」という数字が出てきます。
これは、世界の気温上昇をできるだけ小さく抑えようとする国際的な目標に関わる数字です。
2015年に採択されたパリ協定では、産業革命前からの気温上昇を2度より十分低く保ち、1.5度に抑える努力を追求するとしています。
ここには、少し分かりにくい点があります。
2024年の世界の平均気温は、産業革命前と比べて約1.55度高く、単年で初めて1.5度を上回りました。
しかし、パリ協定が目指しているのは、長い期間でならした温暖化の水準です。
一年だけ1.5度を超えたことと、長期的にその水準を超えたこととは、分けて考えなければなりません。
もう一つ、大切なことがあります。
1.5度は、それまでは安全で、超えた瞬間にすべてが終わる線ではありません。
気温の上昇が大きくなるほど、一般に危険も大きくなります。
ですから、ある目標の達成が難しくなっても、その先の上昇を少しでも抑える意味は残ります。
試験の合格点のように、「届かなければ、それまでの努力は全部無駄」と考えるものではないのです。
ただし、「少しでも減らせばよいのだから、ゆっくりで構わない」ということにもなりません。
二酸化炭素による温暖化には、これまでに積み上げてきた排出量が強く関係します。
今年の排出を少し減らしても、それまでに出した分が消えるわけではありません。
温暖化の進行を止めるには、二酸化炭素の排出を「実質ゼロ」にする必要があります。
実質ゼロとは、人間が出す量を大幅に減らしたうえで、なお残る分を、森林による吸収や技術による除去と釣り合わせることです。
水がたまり続ける浴槽を思い浮かべると、分かりやすいかもしれません。
蛇口を少し絞ることには意味があります。
しかし、排水口から出ていく水より入ってくる水が多ければ、水位は上がり続けます。
「以前ほど勢いよく入れていない」ことと、「もう増えない」ことは違うのです。
地球の仕組みは浴槽ほど単純ではありませんが、排出の減り方と、積み上がった量を分けて考える点は共通しています。
必要なのは、悲観して手を止めることでも、対策が少し進んだからと安心することでもありません。
どこまで減らせたのか。どれだけ早く減らせるのか。その両方を見ることです。
北極の氷が減ると、さらに氷が減りやすくなる
北極の氷は、ただ海の上に浮かんでいるだけではありません。
太陽の光をはね返す、鏡のような役割を担っています。
白い雪や氷は光をよく反射します。
一方、その下から現れる暗い海面は、より多くの光を吸収します。
氷が減ると海が暖まりやすくなり、その熱がさらに氷を減らす方向に働きます。
日差しの下で、白い服と黒い服とでは暖まり方が違うことを思い浮かべると、イメージしやすいかもしれません。
もちろん、北極の変化は色の違いだけで決まるわけではありません。
海や大気の動きなど、いくつもの仕組みが重なっています。
それでも、氷が減ること自体が次の氷の減少を後押しする場合がある、という点は重要です。
そこに船の活動が加わります。
船が燃料を燃やすと、燃料やエンジンの状態によっては「すす(ブラックカーボン)」が出ます。
そのすすが雪や氷に付着すると、表面が黒ずみ、光を吸収しやすくなります。
これは、二酸化炭素による温暖化とは別の経路で氷に影響する働きです。
温暖化によって船が通りやすくなる。
その船の活動が、さらに氷に負担をかける可能性がある。
便利になったように見える変化の裏側には、こうしたつながりがあるのです。
ただし、北極の問題を、そこを通る船だけの問題に狭めるべきではありません。
世界全体で温暖化の原因を減らすことと、北極での活動による追加の負担を抑えること。その両方を考える必要があります。
北極だけを守ろうとしても、世界全体が暖まり続ければ守りきれません。
一方で、世界全体の対策が必要だからといって、北極での負担を放置してよいわけでもないのです。
海の近道は、世界全体の得になるのか
北極海航路とは、北極の海を通る船の道です。
なかでも、ロシアの北側の海岸沿いを進むルートは、東アジアとヨーロッパを結ぶ輸送の一部で、スエズ運河経由より距離を短くできる可能性があります。
距離が短くなれば、条件によっては、使う燃料や二酸化炭素の排出を減らせます。
そのため、「北極海航路を使う船は、どんな場合でも別の航路より環境に悪い」と決めつけるのも適切ではありません。
同じ貨物を、どの船で、どの燃料を使い、どのような条件で運ぶのか。そこを比べる必要があります。
しかし、地図の上で距離が短いことと、安心して使える輸送路であることは別の話です。
北極では、厳しい天候や氷への対応に加え、通信や航行を支える設備にも制約があります。
人里離れた海域で事故が起きれば、救助や流出した油の回収も難しくなります。
企業にとって大切なのは、一度だけ早く着くことではありません。
予定した時期に、安定して届くことです。
たとえば、自宅から駅までの道に、短い山道と、少し遠回りの幹線道路があるとします。
晴れた日は山道の方が早くても、大雨や積雪で通れなくなるなら、毎日の通勤には使いにくいでしょう。
船の輸送にも、これと似た面があります。
そして、もう一段広い見方も必要です。
一回の航海で燃料を節約できたとしても、航路が使いやすくなったことで、新しい資源開発や輸送そのものが増えるかもしれません。
その場合、一回あたりの負担が減ることと、全体の負担が減ることは同じではありません。
一台の車が少ない燃料で走れるようになっても、その分だけ車の台数や走る距離が増えれば、全体の燃料消費は減らないかもしれません。
「一回の効率がよい」ことと「社会全体にとって望ましい」ことは、分けて考えたいところです。
北極海航路は、環境への負担を無視して使えばよいものでも、距離の短縮という利点を一切認めずに論じればよいものでもありません。
利点と負担を、同じ物差しで比べる必要があります。
誰かの利益が、別の誰かの負担になる
では、なぜ慎重に考えたい問題でも、開発を進めようとする力が働くのでしょうか。
理由の一つは、利益を受け取る人と、負担を引き受ける人が違うことです。
仮に、ある会社が新しい航路を使い、輸送費を100万円節約できたとします。
その100万円は、会社にとって分かりやすい成果です。
利益が増えたり、商品の価格を抑えたりすることにつながります。
一方、その活動によって環境への負担が増えた場合、その影響は同じ会社だけに現れるとは限りません。
別の地域の住民や、将来の世代が引き受けることになるかもしれません。
会社の帳簿を見れば、輸送費は確かに減っています。
しかし、帳簿の外側にある負担までは、費用として記録されません。
経済学では、こうした負担を「外部不経済」と呼びます。
これは、「その会社が悪い」と言うだけでは解決しにくい問題です。
他社も同じ条件で競争しているなら、一社だけが高い費用を負担し続けることは難しくなります。
環境に配慮した会社ほど、その配慮のために不利になることも考えられます。
だからこそ、個々の会社の善意だけに任せず、共通の条件をつくる必要があります。
どのような燃料を使うのか。
どれだけ排出を減らすのか。
事故への備えは十分か。こうした条件をそろえれば、環境への負担を小さくする工夫そのものを、競争の対象にできます。
ここで目指したいのは、利益を否定することではありません。
社会に負担を残す方が安く、負担を減らす方が損をする。その関係を、少しずつ変えていくことです。
利益を得ることと将来の暮らしを守ることが、できるだけ同じ方向を向くようにする。
そのために、制度や取引の仕組みを使うのだと思います。
大国を動かしているのは、お金だけではない
国の行動には、もう一つの事情があります。
他国に自国の活動を止められたくない、という考えです。
輸入や輸出を、限られた通り道に頼っているとします。
その通り道が危険になったり、相手国との関係が悪化したりすれば、暮らしや産業に影響が及びます。
そう考えると、別の道を持っておくことには、普段の輸送費とは違う価値が生まれます。
会社でも、仕入先が一社だけ、取引先が一社だけという状態には不安が残ります。
普段は問題がなくても、その相手に何か起きれば、自社の仕事まで止まってしまうからです。
国の場合は、そこに外交や軍事の問題が加わります。
そのため北極海航路は、単なる「安い輸送路」としてだけでなく、「ほかの道が使いにくくなったときの選択肢」としても見られています。
そして、国同士の競争には独特の難しさがあります。
ある国が、環境を守るために開発を控えたとします。
ところが、その間に別の国が港を整え、資源の契約を結び、運航を支える技術や設備を手に入れたらどうでしょうか。
控えた側には、「自分たちだけが損をしたのではないか」という不安が生まれます。
このような状況では、判断の軸が変わります。
「世界全体にとってよいか」だけでなく、「相手が先に進んだら、自国はどうなるか」が重くなるのです。
自分が得をすること以上に、相手に優位に立たれないことを気にするようになります。
だからこそ、国際協力には約束の言葉だけでは足りません。
相手も同じように取り組んでいると確かめられること。
約束を守る側だけが不利にならないこと。
負担を引き受けた国にも、協力する意味があること。こうした条件が必要になります。
大国の行動を理解するには、「利益を求めている」という見方と、「弱い立場になりたくない」という見方の、両方が必要だと私は考えています。
同じ北極を見ながら、三つの国は違うものを見ている
ロシアにとっては、資源と輸送を結ぶ場所
ロシアにとって、北極は遠い海外ではありません。自国の国土そのものです。
ロシアは北極を、国の発展を支える重要な資源地域と位置づけています。
また北極海航路を、国内の北極地域を結ぶ輸送路としても重視しています。
この立場から見ると、航路の価値は、外国の船に近道を提供することだけではないでしょう。
資源を掘り出し、港まで運び、船で販売先へ届ける。
その一連の流れを整えることが、国の収入や地域の仕事につながります。
さらに、港や運航の支援を必要とする外国との関係で、影響力を持てる可能性もあります。
ただし、氷が減れば、すべてが順調に進むわけではありません。
資源があることと、それを採算に合う形で取り出せることは別です。
取り出せても、船が足りなければ運べません。
運べても、買い手や資金がなければ事業は続きません。
国家の大きな構想を見るときにも、この区別は欠かせません。
「できるかもしれない」という期待と、「安定して続けられる」という実力は、同じではないのです。
中国にとっては、選択肢を増やす道
中国は北極の沿岸国ではありません。
それでも、2018年に公表した北極政策白書で自らを「北極に近い国」と位置づけ、北極の航路を利用する「氷上シルクロード」の構想を示しました。
航路に関わる設備の整備や、商業航行への参加も掲げています。
中国の立場を考えるときも、距離の短縮だけに目を向けるべきではないと思います。
輸送路を増やす。資源の調達先を増やす。
将来の貿易を支える設備や仕組みに、自国も関わる。
そうした意味があると考えられます。
ただし、ロシア側の港や支援に頼る航路を使えば、他国への依存がなくなるわけではありません。
依存する相手や、依存の形が変わる面もあります。
一つしか入口のない建物に、別の入口をつくるようなものです。
出入りの選択肢は増えますが、新しい入口にも、管理する人や利用の条件があります。
「別の航路ができれば、どの国からも影響を受けなくなる」と考えるのは、行き過ぎでしょう。
中国自身の政策文書にも、北極の環境保護と、航路や資源の利用の両方が書かれています。
大切なのは、保護を掲げているかどうかではなく、実際の行動でどちらにどれだけ重みを置くかです。
アメリカにとっては、自国を守るための北の海
アメリカは、アラスカを持つ北極の沿岸国です。
そのため北極は、資源や経済だけでなく、自国の安全にも関わる場所です。
アメリカの北極への関心には、本土の防衛、環境保護、研究、他国との協力などが含まれています。
この立場に立てば、ロシアや中国の活動の広がりを、物流や商売だけの話として見るのは難しいでしょう。
どの国の船が活動しているのか。どこに設備が整えられるのか。
それが自国や同盟国の安全にどんな意味を持つのか。
そうした観点からも、北極を見ることになります。
一方、気候変動を抑える国際的な取り組みについては、アメリカのパリ協定からの再離脱が、2026年1月27日に発効しました。
ここには、気候問題の難しさを表す一つのずれがあります。
地球の変化を抑えるための協力には消極的になっても、変化した地球の上で自国の安全や利益を守る必要は残る、ということです。
「変化を止めようとする政策」と「変化を前提に備える政策」は、必ずしも同じ方向へ進むとは限らないのです。
ただし、政府の方針を、その国に暮らすすべての人の考えと同一視してはいけません。
国の中にも、違う考え方や利害があります。国を一人の人間のように描きすぎないことも、世界を見るうえで大切だと思います。
「国益」という言葉から、こぼれ落ちる人たち
大国の事情を理解することと、その行動を正しいと認めることは別です。
自国の安全に関わるからといって、他国や地域の人々の意思を無視してよいわけではありません。
経済的な価値があるからといって、自然への負担を考えなくてよいわけでもありません。
北極は、誰も住んでいない白紙の場所ではないのです。
そこには、先住民を含む人々の暮らしがあります。
北極の国々が協議する国際的な場である北極評議会にも、先住民の団体が「常時参加者」として加わる仕組みが設けられています。
遠くから見れば「新しい資源」でも、そこで暮らす人にとっては生活の場です。
地図の上では「新しい航路」でも、その海で日々を営む人には違う意味があります。
だからといって、地域の人々が全員、開発に反対しているはずだと決めつけるのも違うでしょう。
仕事や生活の改善を望む声と、自然や文化への影響を心配する声は、両方ありうるからです。
必要なのは、外から一つの答えを与えることではなく、当事者が判断に関われることです。
「国益」という言葉にも、同じ注意が必要です。
資源を売る企業にとっての利益。
そこで働く人にとっての利益。
安い燃料を買いたい人にとっての利益。
影響を受ける地域の人にとっての利益。
将来生まれる人にとっての利益。
これらは、必ずしも一致しません。
だから、「国のためになる」と聞いたときには、もう一歩だけ問い直したいと思います。
それは、誰にとっての利益なのか。
どのくらい先までを考えた利益なのか。
そして、負担する人は、その決定に参加できているのか。
国益という言葉を否定するためではありません。
その中身を、曖昧なままにしないためです。
豊かになった国と、これから豊かになりたい国
気候対策が難しい理由には、国同士の豊かさの違いもあります。
安定した電気が使え、暑ければ冷房をつけられ、必要な物が届く。
そうした暮らしをすでに持つ人と、これから手に入れたい人とでは、同じ対策でも受け止め方が違うはずです。
たとえば、まだ十分な電力や交通の仕組みが整っていない国に、「環境への負担が増えるので、発展の仕方を変えてください」と求めるとします。
その必要性を説明することは大切です。
しかし、別の方法に必要な費用や技術を用意しないまま求めるだけでは、納得を得るのは難しいでしょう。
先に便利な暮らしを手に入れた側が、これから手に入れようとする側に負担だけを求めているように見えるからです。
一方で、各国がそれぞれの事情を理由に排出を減らさなくてよいとなれば、温暖化は抑えられません。
自然の働きは、国の事情に合わせて変わってはくれないからです。
この難しさに向き合うため、パリ協定には、排出削減だけでなく、資金や技術、人材育成の面で互いに支える仕組みも含まれています。
ここでの支援は、余裕があれば行う親切というだけのものではありません。
違う立場の国々が、同じ方向へ進むための条件です。
「同じことをしてください」と求める前に、「違う出発点からでも取り組めるようにするには、何が必要か」を考える。国際協力には、その順序が欠かせないと思います。
世界は、何もしていないわけではない
ここまで読むと、世界は自国の利益ばかりを優先し、悪い方向にしか進んでいないように見えるかもしれません。
しかし、その見方もまた一面的です。
国際エネルギー機関(IEA)によると、2025年には、再生可能エネルギーと原子力による発電の増加分が、世界全体の電力需要の伸びを上回りました。
なかでも太陽光発電は、エネルギー需要の伸びを支えた最大の供給源となっています。
その一方で、世界のエネルギー利用に伴う二酸化炭素の排出量は約0.4%増え、過去最高を更新しました。
これは、矛盾した話ではありません。
対策は進んでいて、対策がなかった場合と比べれば排出を抑えている。
けれども、世界全体の排出を十分な速さで減らすところには、まだ届いていないということです。
国連環境計画(UNEP)が2025年に公表した報告書では、その時点の政策を続けた場合、今世紀の気温上昇は約2.8度に達すると推計されています。
各国が掲げた削減目標を完全に実施した場合でも、約2.3〜2.5度という見通しです。
これは確定した未来ではなく、政策や取り組みについて一定の条件を置いた予測です。
ここから受け取りたいことは二つあります。
一つは、まだ足りないという現実です。
もう一つは、政策や技術、実際の行動によって、将来の見通しは変わりうるということです。
環境対策を、利益や競争と反対側にあるものと考える必要もありません。
燃料を少なく使う設備。安定して使える新しい電源。
必要な資源を回収し、もう一度使う仕組み。こうしたものが選ばれるようになれば、それを提供する企業にも仕事が生まれます。
ただし、新しい技術に移れば他国への依存が消えるわけではありません。
電池や発電設備に必要な鉱物の加工は、特定の国に集中しています。
エネルギーを切り替える過程で、新しい弱点をつくらない注意も必要です。
未来は、「石油を使う世界」から「何の問題もない世界」へ、一度に切り替わるわけではありません。
一つの問題を小さくしながら、次の問題にも備える。
その積み重ねになるのだと思います。
日本が最初に減らしたいのは、エネルギーの弱さ
では、日本にできることは何でしょうか。
まずは、日本自身が抱える弱さを減らすことから始めるのがよいと私は考えています。
資源エネルギー庁によると、2024年度の日本のエネルギー自給率は16.4%(速報値)でした。
これは電気だけでなく、燃料などを含むエネルギー全体の数字で、ほかの先進国と比べても低い水準です。
原油の9割以上を中東地域に頼っていることからも分かるように、日本の暮らしと産業は海外からの供給に大きく依存しています。
そんな日本にとって、使う燃料を減らすことは、環境のためだけではありません。
海外の情勢や燃料価格に左右される度合いを、小さくすることでもあります。
同じ明るさ、同じ快適さ、同じ生産量を、より少ないエネルギーで実現する。
その工夫には、環境対策と暮らしの安定を結びつける力があります。
まず、使わなくて済む分を減らす
エネルギーの議論では、どの発電方式を増やすかに目が向きがちです。
もちろん、電気をどうつくるかは重要です。
ただ、その前に、無駄に使っている分を減らせないかも考えたいところです。
たとえば、暖房を強くする前に、熱が逃げやすい窓や壁を見直す。
古い設備を更新するときに、購入価格だけでなく、その後にかかる電気代や燃料代も比べる。
工場なら、捨てている熱を別の工程で使えないか検討する。
こうした取り組みは、派手なニュースにはなりにくいかもしれません。
それでも、暮らしや生産の質を保ちながら、必要なエネルギーを減らしていけます。
大切なのは、我慢の量を競うことではありません。
暑い部屋で冷房を控え続けるのではなく、少ないエネルギーで安全に過ごせる部屋に変えていく。
人に努力を求めるだけでなく、設備や建物の側を変えていくことです。
一つの発電方法に、すべてを任せない
電気をつくる方法についても、一つを選べばすべて解決するとは考えない方がよいでしょう。
太陽光や風力を増やすなら、発電する場所だけでなく、電気を運ぶ送電網や、天候による変動への備えも考える必要があります。
自然への影響や、地域の人々との合意も欠かせません。
原子力についても、安全性、廃棄物、費用、必要な期間、地域の合意を切り離して判断することはできません。
私が重視したいのは、特定の方法を応援することより、全体として暮らしが安定するかどうかです。
必要なときに電気が使えるか。
長く負担できる費用か。
事故や災害にどう備えるか。
排出をどれだけ減らせるか。
これらを並べて、組み合わせを考えたいと思います。
移行の途中では、現在使っている燃料の確保も必要です。
将来の目標があるからといって、今日の供給をおろそかにしてよいわけではありません。
目指すのは、海外と関わらずに生きることではありません。
海外と取引しながらも、一つの燃料、一つの国、一つの輸送路に、暮らしの大部分を預けすぎないことです。
日本は、北極の「使い方」を変える側にもなれる
日本は北極の沿岸国ではありません。
だからといって、何も関われないわけではありません。
まず考えたいのは、船を利用する側、物を買う側としての役割です。
船を動かす会社だけでなく、荷物を運んでもらう会社にも、選ぶ余地があります。
どのような船で、どんな燃料を使い、どのような備えをして運ぶのか。
それを価格と一緒に確認することです。
商品を買うとき、つくり方や働く人の環境を確かめることがあります。
それと同じように、輸送の方法も取引の条件にできるはずです。
すでに国際海事機関(IMO)には、極地で船を動かす際の安全や環境保護のルールがあります。
北極海では、重油を船の燃料として使うことや、燃料として積むことが2024年7月から原則禁止されました。
ただし、一部の船には2029年7月までの猶予が残っています。
日本が働きかける余地は、こうしたルールを実際に守ること、そしてさらに改善していくことにあります。
排出を減らしたと説明するだけでなく、本当に減ったと確かめられるようにする。
事故が起きた場合の備えを、書類上の約束だけで終わらせない。
必要な設備や人材に費用をかける事業が選ばれるようにする。
ただし、日本の一社だけが条件を厳しくしても、取引が別の会社へ移るだけになるかもしれません。
だから、同じ考えを持つ国や企業と、条件をそろえることが重要です。
なお、2022年のロシアによるウクライナ侵略以降、対ロシア制裁などの影響もあり、ロシア沿岸を通る航路を日本がどう活用するかは、政府の北極政策のなかでも難しい課題になっています。
北極との関わり方は、環境や経済だけでなく、外交の状況にも左右されるのです。
私は、日本が北極で目指すべきなのは、「開発競争に遅れないこと」だけではないと考えています。
環境や安全への負担を他人に残す事業が、安いという理由だけで有利にならない。
その条件をつくることにも、日本の役割があります。
「使えるようになったから使う」とは限らない
国際協力には、すでに具体的な例もあります。
「中央北極海無規制公海漁業防止協定」という、少し長い名前の協定です。
簡単にいえば、北極の中央部にある、どの国の管轄にも属さない公海で、管理のない漁業が先に広がることを防ごうとする約束です。
日本、中国、アメリカ、ロシアなど9か国とEUが参加し、2021年に発効しました。
氷が減れば、将来、魚をとれる場所が広がるかもしれません。
そのとき、「先に行った国から好きなだけとる」のではなく、生き物や漁業への影響を調べ、管理の条件を決めたうえで利用する。
そうした考え方が、この協定には込められています。科学的な調査や情報の共有も組み込まれています。
私は、この順序に大きな意味があると思います。
問題が起きてから修復するのではなく、大きな問題が起きる前に、利用の仕方を考えておく。
道路を通せるから通す、掘れるから掘る、とれるからとる。
そうした判断だけにしないことです。
もちろん、協定が一つあれば国同士の対立が消えるわけではありません。
実際に守られるか、調査が続くか、必要な管理が整うかは、その後も確かめ続けなければなりません。
それでも、世界が奪い合いだけで動いているわけではないことは分かります。
日本の外交も、大国同士の対立を一度に解消することばかりを目指す必要はありません。
事故を減らす。海の状態を調べる。
生き物を守りながら利用する。
こうした対象を絞った協力を、続けられる形にすることにも価値があります。
対立する問題があっても、協力できる部分を探す。
ただし、協力するために、他の問題や責任まで曖昧にしない。
その両方を保つことが必要です。
よく見ること、調べ続けることも、日本の仕事になる
北極について考えるとき、忘れたくないのが観測です。
どこで氷が減っているのか。海はどれだけ暖まっているのか。
生き物の暮らしはどう変わっているのか。
人間の活動は、そこにどれだけ影響しているのか。
こうしたことを知るには、継続して調べる必要があります。
日本では、海洋研究開発機構(JAMSTEC)が北極域研究船「みらいⅡ」を建造しています。
砕氷機能を持つ研究船としては日本初で、2026年秋ごろの就航を目指しています。
氷のある海域でも観測を行い、国内外の研究者が乗船できる国際的な研究の拠点として活用される予定です。
また、日本は2013年から北極評議会にオブザーバーとして参加しています。
意思決定を担う北極圏の国々と同じ立場ではありませんが、研究や専門的な活動を通じて貢献する道があります。
観測は、すぐに売上や雇用の数字に結びつかないこともあるでしょう。
それでも、何が起きているか分からなければ、対策が必要かどうかも、その対策が役立ったかどうかも判断できません。
会社でも、売上や費用を継続して把握していなければ、一時的な変化と、事業の流れそのものの変化を見分けにくくなります。
月次の数字を追い続けるからこそ、異変に早く気づけるのです。
地球を見るときにも、続けて測ることが欠かせません。
しかも、調査を続けるには、船や機器だけでなく人が必要です。
経験のある研究者や技術者を育て、長く働ける環境を整えなければなりません。
日本の貢献を、「優れた機械をつくること」だけに狭めたくはありません。
使える機器があり、それを扱う人がいて、観測が続き、得られた事実を他国とも共有できる。
その全体を支えることです。
科学があれば政治の対立をすべて解決できる、というわけではありません。
それでも、都合のよい主張だけで物事を判断しないための土台にはなります。
私たちの町や会社にも、変えられることがある
地球全体の排出を減らす取り組みと並んで、すでに起きている変化への備えも必要です。
これを「適応」と呼びます。
難しく聞こえますが、変わっていく気候に合わせて、被害を受けにくい暮らし方や働き方に変えていくことです。
国や自治体の仕事でいえば、暑さに備えた学校や公共施設、浸水しにくいまちづくり、水を安定して使うための仕組みなどが考えられます。
会社なら、設備が止まる危険と、人が働けなくなる危険を、分けて確認しておきたいところです。
機械はどこに置いているのか。水が入ったとき、どの設備が使えなくなるのか。
暑い時期の作業を、以前と同じ時間帯に続けてよいのか。
主要な仕入先が止まったら、代わりはあるのか。
環境省も、企業が考えるべき気候のリスクとして、洪水、水不足、原材料の調達、暑さなどを挙げています。
これは、大企業の環境担当者だけに関係する話ではありません。
小さな会社ほど、設備や仕入先の代わりをすぐに用意するのは難しいものです。
だからこそ、できる範囲で先に確認しておく意味があります。
最初から大きな投資を決める必要はありません。
まず、止まると特に困る仕事は何か。
その仕事は何に支えられているのか。
電気なのか、水なのか、特定の設備なのか、特定の取引先なのか。
そこを見つけるだけでも、備える順番が見えてきます。
気候変動を、事業の外側にある環境問題として扱うのではなく、これからも仕事を続けるための条件として扱う。
こうした取り組みも、日本にできる重要なことだと思います。
世界のすべてを変えられなくても、変化によって暮らしや仕事が簡単に止まらない社会に近づけることはできます。
環境対策を、余裕のある人だけの選択にしない
ただし、対策を進めるときには、費用の問題から目をそらせません。
長く使えば電気代を減らせる設備でも、最初にまとまったお金が必要なら、買い替えられない家庭があります。
建物を改修したくても、資金に余裕のない会社もあります。
ここで、「長い目で見れば得なのだから、取り組むべきだ」と言うだけでは足りません。
長い目で考えたくても、今月の支払いを優先せざるを得ない人はいるからです。
環境への配慮を、余裕のある人だけが選べるものにすると、対策は広がりにくくなります。
それどころか、「環境のため」という言葉が、自分の負担を増やす話として受け取られてしまうかもしれません。
だから、必要な対策に手が届くようにする工夫が重要です。
資金を借りやすくする。負担が大きい人に支援を届ける。
設備の更新時期に合わせて導入しやすくする。
新しい仕事に移る人を支える。
どの方法にも費用はかかります。
支援すれば何でもよいわけではなく、本当に必要な人に届いているか、効果が出ているかを確かめる必要があります。
それでも、負担の分け方を考えることは、対策のおまけではありません。
対策を続けるための中心的な条件です。
海外への協力も同じです。
日本の設備を売るだけでなく、相手国が使い続けられるかを考える。
現地で修理できるか。
部品を調達できるか。
扱う人を育てられるか。
費用を長く負担できるか。
技術が優れていても、暮らしや仕事の中で使い続けられなければ、十分な役割は果たせません。
「日本には技術がある」で話を終えず、その技術が役立つ条件まで整える。
その方が、日本の事業にとっても相手国にとっても、長く続く関係になると思います。
「日本だけでは無理」と「日本にできることはない」は違う
日本が単独で、世界の温暖化を抑えきることはできません。
大国の判断を、思いどおりに変えることもできません。
その限界は、率直に認めておく必要があります。
ただし、そこから「だから何をしても無駄だ」と考えるのは、飛躍があります。
日本のエネルギーの弱さを減らすことには、日本自身の暮らしを安定させる意味があります。
災害で仕事が止まりにくくすることにも、直接の価値があります。
使える技術や、確かめられるルールを広げることには、他国と協力する余地があります。
一方で、「日本の技術や外交で世界を救える」と大きく構えすぎる必要もないでしょう。
日本のやり方が、どこでも最良とは限りません。
相手国には相手国の事情があります。
日本にも、資金や人材の限りがあります。
だからこそ、考えたいのは具体的な改善です。
どの負担を減らせるのか。
誰の安全を高められるのか。
どの依存を小さくできるのか。
その改善を、ほかの国や企業も選びやすい形にできるのか。
無力感と、都合のよい楽観。
そのどちらにも寄りかからず、できることの大きさを確かめながら進むことです。
地味に見えるかもしれません。
しかし、長く続けるには、その方が確かな道だと思います。
国益を、今の利益だけにしない
北極海航路の話は、遠い海の話に見えます。
けれども、その奥には、私たちにも身近な問いがあります。
今、安くなることは、本当に得なのか。
便利になるために、別の誰かに負担を残していないか。
その負担は、いつ、誰のところに届くのか。
もちろん、今の暮らしも大切です。
物価が上がり、仕事が不安定になれば、将来の問題に目を向ける余裕は小さくなります。
だから、今を犠牲にすればよいという話にはしたくありません。
一方で、今だけを見て将来の負担を積み上げれば、いずれ暮らしを守るための費用は重くなります。
必要なのは、今と将来を、別々の財布で考えないことだと思います。
大国は、資源や輸送路、軍事上の優位を、自国の利益として重視します。
しかし、国の利益はそれだけではないはずです。
安定して食料を得られること。
必要な水や電気を使えること。
安心して働けること。
災害のたびに生活を立て直さなくて済むこと。
そして、次の世代もその暮らしを続けられること。
それらも、国が守るべき利益です。
環境を守ることと、国益を守ることを、いつも反対側に置く必要はありません。
暮らしを長く続けられる条件を守ることも、国益の中核だからです。
日本にできることはあります。
それは、大国に正しさを訴えることだけでも、大国の後を追って同じ競争に加わることだけでもありません。
自国の弱さを減らし、確かな事実を積み上げ、協力できる条件をつくることです。
北極に新しい近道が生まれるとき、私たちは、何日早く着くかだけを見なくてもよいのだと思います。
その道を使うことで何が変わり、その先に誰の暮らしがあるのか。
そこまで考えて選ぶことが、今の便利さと、これからの安心をできるだけ両立させる出発点になるのではないでしょうか。


