「あの人しか分からない仕事」をなくす―AIで社員の経験を会社の財産に変える方法

AIが変えるのは、仕事の速さだけではありません―中小企業の「頭の中の仕事」を会社の財産にする

特定の社員が休むと、仕事が止まってしまう。
そのような経験はないでしょうか。
請求書の処理はあの人にしか分からない。
取引先からの問い合わせには、長年の担当者しか答えられない。
月末になると、経理担当者だけが慌ただしくなる。
中小企業では、決して珍しい光景ではないと思います。

社員一人ひとりの経験は、会社にとって大切な財産です。
ただ、その経験が本人の頭の中にしかなければ、ほかの社員は生かすことができません。
担当者が異動や退職をした途端、仕事の進め方が誰にも分からなくなる。
そうした話は、税理士として多くの会社の経理に関わる中でもよく耳にします。

これまで、この問題への対策といえば、手順書を作る、担当者を増やす、外部の開発会社に相談する、といったものが中心でした。
ところが、生成AI(文章や資料を作り出す人工知能)が身近になったことで、新しい道が見え始めています。

それは、仕事をいちばんよく知っている社員自身が、AIの力を借りながら仕事のやり方を整理し、改善していく道です。
これからの中小企業にとって、見過ごせない変化ではないでしょうか。

大企業で始まった「仕事を知る人が仕組みを作る」動き

最近、国内の大手金融グループが、営業や事務の経験を持つ社員を、AIを使った業務改善や仕組みづくりの担い手として育てる方針を打ち出しました。
開発を専門の技術者だけに任せるのではなく、現場を知る社員にも新しい役割を担ってもらおうという考え方です。

この動きをめぐっては、専門家からもさまざまな意見が出ています。
仕事を知る人が仕組みづくりに関わる利点が語られる一方で、AIが作った仕組みの正確さや安全性をどう確かめるかという課題も指摘されています。
また、工場で積み重ねられてきた日々の改善活動が事務の仕事にも広がる可能性や、社員教育だけでなく経営者の考え方そのものを変える必要性にも触れられています。

この話題は、「大企業がAIに力を入れている」というだけの話ではないと私は考えています。
注目したいのは、業務改善の中心に立つ人が変わろうとしている点です。

かつては、仕組みに詳しい人が技術を用意し、現場の社員がその仕組みに仕事を合わせる、という場面が多くありました。
これからは、現場の社員が自分の仕事に合った仕組みを考え、AIを使って試してみる場面が増えていくと考えられます。
そしてこの変化は、大企業だけのものではありません。

外から見ただけでは分からない仕事があります

仕事の改善では、外部の専門家に依頼することも多かったと思います。
専門家には確かな技術と幅広い経験があります。
それでも、外から会社の仕事を見ただけでは、どうしても分からない部分が残ります。

たとえば、ある取引先だけ請求書の締め日が違う理由。
ある商品にだけ特別な確認が必要な事情。
社長が報告書を開いたとき、どの数字から目を通すかという習慣。

現場の社員にとっては当たり前のことでも、説明されなければ外部の人には分かりません。
しかも、担当者自身が「当たり前すぎて、わざわざ言うほどのことではない」と思っている場合も少なくありません。

そのため、時間とお金をかけて新しい仕組みを入れたのに、手作業が残ったり、かえって確認が増えたりすることがあります。
仕組みそのものが悪いというより、仕事の実態が十分に伝わっていなかったのだと考えられます。

AIは、この距離を縮める助けになるかもしれません。
社員が普段の言葉で仕事を説明し、必要な資料や手順を整理することが、以前よりずっと手軽になったからです。

もっとも、外部の専門家が不要になるわけではありません。
何を改善するかは現場が考え、安全で確実な仕組みに仕上げるところは専門家が支える。
この役割分担が、これからはいっそう大切になるのではないでしょうか。

事務の仕事には、言葉になっていない知識がたくさんあります

ここで考えたいのが「暗黙知(あんもくち)」です。
難しく聞こえますが、経験によって身についているものの、言葉や文書にはなっていない知識のことです。

経理担当者が請求書を見た瞬間に「いつもと何か違う」と気づく。
営業担当者が電話の声の調子から、お客様が急いでいると察する。
総務担当者が、毎年同じ時期に必要になる手続きに誰よりも早く気づく。
どれも暗黙知の一例です。

こうした力は長年の経験から生まれます。
ところが本人に「どうやって判断したのですか」と尋ねても、「いつもやっているので分かるんです」という答えが返ってくることがよくあります。

これに対して、手順書などに書き表され、ほかの人にも伝えられる知識を「形式知(けいしきち)」といいます。
暗黙知を形式知に変えられれば、担当者がいなくても仕事を引き継ぎやすくなります。
会社全体で同じ基準を使って判断することもできるようになります。

中小企業では、一人の社員がいくつもの役割を担うことが珍しくありません。
そのぶん仕事が特定の人に集まりやすく、暗黙知もたまりやすいのです。
私は、ここにこそAIを使った改善の大きな余地があると感じています。

手順書づくりが進まなかった理由も変わります

「業務を手順書にしておきましょう」と言うのは簡単です。
けれども現場では、なかなか進みません。
多くの仕事を知っている社員ほど忙しく、書き出す時間がないからです。

それに、自分が普段どのような判断をしているのかを、最初から順序立てて説明するのは難しいものです。
作業そのものは短時間で終わっても、いざ説明しようとすると、細かな例外が次々に出てきます。

ここでAIを使うと、進め方が変わります。
最初から完成した文章を書く必要はありません。
担当者が普段の仕事を話し、AIがそれに質問を返していくのです。

「最初に開く資料は何ですか」「数字が合わないときはどうしていますか」「上司に相談するのはどんなときですか」「過去に間違えたのは、どんな原因でしたか」。
こうした問いに答えていくうちに、本人も意識していなかった判断の順番が見えてきます。

AIは、その説明を仕事の流れや確認する点ごとに整理する手助けをしてくれます。
もちろん、出来上がった内容が正しいかどうかは担当者が確かめなければなりません。
それでも、白紙から手順書を書く負担はかなり軽くなると考えられます。

大切なのは、AIに仕事を丸投げすることではありません。
AIとの対話を通じて、担当者の中にある知識を引き出すという使い方です。

本当の改善は、知識を言葉にした後から始まります

暗黙知を整理して手順書ができれば、それだけでも十分に意味があります。
ただ、そこで終わらせてしまうのはもったいないと私は思います。

仕事を文章にしてみると、それまで気づかなかった無駄が見えてくることがあるからです。
同じ数字を別々の表に入力していたり、前任者から引き継いだ確認作業を、理由も分からないまま続けていたりすることもあります。

たとえば、売上の集計を担当する社員が、販売管理の画面から数字を書き出し、表計算ソフトに打ち直し、さらに別の資料へ転記しているとします。
毎月のことなので、本人にとってはごく普通の仕事かもしれません。

けれども仕事を一つずつ分けて見ていくと、「最初から自動で取り込めないか」「二つの資料を一つにまとめられないか」「確認の順番を入れ替えられないか」といった問いが生まれます。

つまり、改善には順番があります。
まず仕事を見えるようにする。
次に、なくせる作業を取り除く。
そのうえで、残った作業のうち機械に任せられる部分を考える。

複雑な仕事をそのままAIに任せても、複雑さはそのまま残ってしまうかもしれません。
自動化を考える前に、そもそもその作業が本当に必要なのかを問い直すことが大切ではないでしょうか。

従業員10人ほどの会社で考えてみます

ここからは架空の例でお話しします。
従業員10人ほどの金属加工会社で、経理を一人で受け持っている佐々木さん(仮名)がいるとします。
請求書の整理、振り込みの準備、入金の確認、給与資料の作成まで、すべて佐々木さんの担当です。

まず、月末の仕事を一つだけ選びます。
ここでは入金確認にしました。
どの資料を開くか、どの順番で確かめるか、入金額が請求額と違うときにどうするかを、佐々木さんがAIに説明していきます。

すると、取引先によって振り込みの名義が会社名と違うこと、振込手数料を差し引いて入金する取引先があること、複数月の請求をまとめて支払う取引先があることなどが、次々に言葉になっていきました。
これは単なる作業手順ではなく、この会社ならではの知識です。

次に、まとめた内容を別の社員に読んでもらい、同じ判断ができるかを試します。
分からないところがあれば説明を書き足します。
これを何度か繰り返すうちに、引き継ぎにそのまま使える資料に近づいていきます。

さらに、使っている会計ソフトや表計算ソフトの機能を確かめ、照らし合わせる作業を減らせないかを検討します。
自動化できる部分があっても、例外的な入金や金額の食い違いについては、人が確認する仕組みを残しておきます。

このような取り組みは、大きな開発費をかけなくても始められます。
ただし、会社の情報をAIに入力してよいかどうかは、事前に確かめておく必要があります。
最初は架空の数字を使ったり、個人情報を含まない説明から始めたりしてもよいでしょう。

製造業でも、事務の改善余地は小さくありません

製造業では、作業時間を測る、物の置き場所を変える、作業の順番を見直すといった改善活動が長く続けられてきました。
ところが、見積書の作成、受注内容の転記、納期の確認といった事務の仕事には、同じような見直しが十分に及んでいない場合があります。

たとえば、営業担当者が受けた注文内容を事務担当者が別の表に入力し、製造担当者がそれをさらに書き写しているとします。
一人ひとりは自分の仕事をきちんとこなしています。
それでも会社全体で見れば、同じ情報を何度も扱っていることになります。

こうした流れをAIと一緒に整理すれば、入力を一度で済ませる方法や、人は確認だけを受け持つ方法を検討できます。
AIにできることを探すより、情報の受け渡し方そのものを見直したほうが効果の大きい場合もあるでしょう。

工場の改善と同じように、事務の仕事も少しずつ変えていく。
その活動を支える道具としてAIを使うところに、大きな可能性があると考えています。

経験の長い社員の知識が、新しい強みになります

AIが広がると、若い社員やパソコンに強い社員ばかりが活躍するように思われがちです。
しかし、必ずしもそうではないと私は考えます。

長く働いてきた社員は、いつもと違う処理の仕方や、過去に起きた失敗、取引先ごとの特徴をよく知っています。
こうした経験は、インターネットで調べても簡単には手に入りません。

これまでは、経験が豊富でも文章を書くのが得意でなければ、その知識を周りに伝えにくい面がありました。
AIと対話しながら整理できるようになれば、説明が苦手な人の知識も、会社の中で生かしやすくなります。

ですから、AIへの指示が上手な人だけを評価しないことが大切です。
仕事の目的を分かっている人、間違いに気づける人、例外を見つけられる人、丁寧に確認できる人。
それぞれに果たせる役割があります。

AIを使った改善が、社員を一つの物差しで測るためではなく、これまで見えにくかった一人ひとりの強みを生かすための取り組みになってほしいと願っています。

AIが作った仕組みを、そのまま信じ込まないでください

一方で、気をつけたい点もあります。
AIは、もっともらしい説明をしながら内容を間違えることがあります。
AIが作った表や計算の仕組みが、普段の取引では正しく動いても、珍しい取引では誤った結果を出すこともあり得ます。

たとえば、請求額と入金額が違う理由をAIが勝手に決めつけてしまえば、誤った処理につながります。
社内の取り決めを説明したつもりでも、大事な例外が抜け落ちていることもあります。

そのため、業務の手順を整理するときは、実際の処理結果と突き合わせて確かめることが欠かせません。
誰が内容を確認するのか、どこまでAIに任せるのか、最終的に誰が判断するのか。
この三つは、あらかじめ決めておく必要があります。

また、顧客情報や給与の情報、取引先との契約内容など、会社には外に出してはいけない情報もあります。
利用するAIの利用条件や社内の決まりを確認しないまま、資料をそのまま入力することは避けてください。

もう一つ気をつけたいのは、社員がそれぞれ便利な仕組みを作った結果、ほかの人には中身が分からない、という状態です。
これでは新しい属人化(仕事が特定の人にしか分からない状態)が生まれてしまいます。
仕事を見えるようにするために取り入れたAIが、かえって見えない仕組みを増やしてしまっては本末転倒です。

社長に変えていただきたいのは、仕事の評価の仕方です

私は、技術以上に大切なのは経営者の姿勢だと考えています。

中小企業の社員は、毎日の仕事に追われています。
忙しいから改善する時間がない。
改善しないから、いつまでも忙しい。
この繰り返しから抜け出せない会社もあるのではないでしょうか。

そうした中で、経営者が「AIを使って効率化してください」と声をかけるだけでは、なかなか前に進みません。
新しいやり方を考えるには、時間が必要だからです。

社員の側には不安もあります。
自分の仕事をAIに覚えさせたら、会社に必要とされなくなるのではないか。
苦労して改善しても、仕事が増えるだけではないか。
そう感じていれば、自分の知識を進んで差し出そうとは思えないでしょう。

だからこそ、経営者には、改善に取り組む時間を正式な仕事として認め、その成果をきちんと評価していただきたいのです。
減らせた時間を何に使うかも、社員と一緒に考えてみてください。

空いた時間をお客様との対応に充てる。確認をより丁寧にする。
ほかの社員に教える時間をつくる。そうした目的が見えていれば、AIは人を減らす道具ではなく、よりよく働くための道具として受け入れられていくはずです。

最初から大きな計画を立てる必要はありません

では、何から始めればよいのでしょうか。
私がおすすめしたいのは、最初の数か月で、一つの業務だけを改善してみることです。

最初の段階では、担当者が困っている仕事を挙げてもらいます。
毎月時間がかかる仕事、間違いが起こりやすい仕事、担当者が休むと困る仕事などです。
その中から、一つだけを選びます。

次に、担当者が普段のやり方を説明し、AIを使って仕事の流れを文章にします。
この段階では、自動化を急がなくて構いません。
何を確認しているのか、どんな例外があるのか、誰に相談しているのかを明らかにすることに集中します。

そのうえで、整理した手順を別の社員にも読んでもらいます。
同じ資料を見て同じ判断ができるか、分かりにくいところはどこかを確かめます。
ここまで来て初めて、会社で共有できる知識に近づきます。

最後に、なくせる作業、まとめられる作業、AIや今使っているソフトに任せられる作業を探します。
実際に変えてみたら、以前と比べて時間がどれくらい減ったか、間違いが減ったか、担当者以外でも対応できるようになったかを振り返ります。

効果が小さければ、やり方を変えればよいのです。
最初から大きな成果を求めすぎないことも大切です。
小さな改善の経験が積み重なっていけば、会社の中に「自分たちで仕事を変えていく」習慣が育っていくのではないでしょうか。

人手不足への対策だけで終わらせないために

これから中小企業は、人材の確保がますます難しくなる場面に向き合うことになるでしょう。
物価や人件費が上がる中で、これまでと同じ仕事の進め方を続けるのも簡単ではありません。

AIは、こうした課題に対する有力な手段の一つになり得ます。
ただ、「何人分の仕事を減らせるか」という見方だけでは、その可能性を狭めてしまうように思います。

作業時間が減れば、お客様の話にじっくり耳を傾ける時間が生まれるかもしれません。
手順が共有されれば、新しく入った社員が仕事を覚えやすくなるかもしれません。
担当者が不在でも業務が回るようになれば、休暇も取りやすくなるでしょう。

これらは、人件費の削減額だけでは測れない効果です。
仕事を知る社員が改善に加わり、その知識が会社全体に残っていくことは、長く安心して働ける職場づくりにもつながっていきます。

これから大切なのは「仕事を変えられる会社」になることです

今回の大企業の動きから感じるのは、これまでの常識が少しずつ変わり始めているということです。
新しい仕組みを作るのは、専門の技術を持つ一部の人だけとは限らなくなりました。
日々の仕事を深く理解している社員こそが、その中心に立てる時代に近づいています。

これは、中小企業にとって大きな機会だと思います。
大企業と同じだけの技術者を雇う必要はありません。
まずは今いる社員の経験を大切にし、その知識を会社の中で分かち合えるようにすればよいのです。

もちろん、すべての経験を言葉にできるわけではありませんし、すべての仕事をAIに任せられるわけでもありません。
それでも、仕事のやり方を説明し、見直し、よりよい方法を試してみることは、以前よりずっと始めやすくなっています。

目指したいのは、「AIを導入した会社」になることではありません。
社員が自分たちの仕事を理解し、自分たちの手で少しずつ変えていける会社になることです。

その第一歩は、目新しい道具を探すことではなく、身近な社員に「毎月の仕事で、いちばん手間がかかっているのは何ですか」と尋ねてみることかもしれません。
その答えの中にこそ、会社を変えるきっかけが隠れているのではないでしょうか。